掲示板「チームオンコロジー」

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連載コラムを読んで
患者がチーム医療に参加する意義
ひかり(北海道) 2008/11/28
【vol.10 患者さんが参加することで、がん医療の質は高まります】

瀬戸山先生のコラム読ませて頂きました。
私は乳がん患者です。
『チーム医療』という言葉を知ったのは、こちらのサイトでした。
それ以降、自分なりに勉強はしてきたのですが、患者の皆さんが思いの外主治医と上手く会話が出来てない事を知りました。

上野先生のご本やこのHP等を自分のブログで紹介し、何とか皆さんにも関心を持って欲しいと思っていました。
ここ数日、再度この話題を取り上げていたところでした。
今日、先生のコラムのタイトルを見て「あっ、何てタイムリーな!」と思いました。
最初のパートを読んだだけで、とっても分かり易くてこれは是非ブログの訪問者にも教えてあげたいと思い、リンク貼らせていただきました。

ここの記事を足掛かりにもっと、もっと患者の皆さんの意識改革が進む事を願っています。

   
Re:患者がチーム医療に参加する意義
瀬戸山修(宮城県) 2008/11/29
ひかりさん
 嬉しいコメント,本当にありがとうございました。
 僕も患者さんたちに教えていただいたことが,大きな意識改革になりました。
 患者さんも,医療専門職も,患者中心のがん医療実現のために,意識改革をしなければならないのだろうと思っています。

 北海道にお住まいなのですね。僕も北海道出身です。
 寒くなりましたが,風邪などを召さないように,暖かくお過ごし下さい。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
後のない患者(埼玉県) 2008/11/30
どんなに患者が望んでも聞き入れていただけない場合はどうすればいいのでしょうか。

何度も何度もお願いして話してまいりました。
主治医の言い分、お考え、方向性は理解しているつもりです。
けれど主治医には患者の希望を果たして理解してもらえているようには思えません。
何十人、何百人と抱える患者の聞き飽きた愚痴、としか思っていただけていないのでしょう。

すばらしい内容のコラムを読んでも、自分が得ることのできないごちそうです。
指をくわえて見なければならない悲しさをつくづく感じます。


貧乏ゆすりをしながら最新の検査結果ではないデータを投げつけるようによこした主治医に
どうやったら、どうお願いしたら
「患者を医療に参加」させていただくことができるのか切実に知りたく思っています。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
瀬戸山修(宮城県) 2008/12/01
 ご意見ありがとうございました。
 どのようなご希望をお持ちなのかわからないのですが,担当の医師と良いコミュニケーションがとれないというのは辛いですね。
 患者さんが希望されても,承認されていない薬剤やエビデンスがまだ不十分な免疫療法など,希望にお応えできない事情もあります。
 どのような理由からそのように希望しているのか,その病院の看護師の方や薬剤師の方などとも話すことも必要と思いますし,その病院の方と冷静に話し合うことが大事と思います。その病院には,医療相談室やソシャルワーカーという人はおられませんか?
 また,他の専門施設にセカンド・オピニオンを求めることも考えられます。
 お互いに信頼できなければ,納得のいく話し合いは難しいですね。納得いくまで,話し合うこととそれが不可能ならセカンド・オピニオンを求めることも大切と思います。
 心穏やかに納得できる治療を受けられるよう,心から祈っています。
 

Re:患者が望んでも聞き入れていただけない
上野 直人(海外在住) 2008/12/01
投稿ありがとうございます。

具体的にどのような状況か教えていただけますか?
Re:患者がチーム医療に参加する意義
後のない患者(埼玉県) 2008/12/01
くだらない愚痴にお返事をいただきありがとうございます。

主治医と私の考え方がどうしてもすりあわないのです。
主治医は癌の縮小を目標に最善のご尽力をくださいました。
その結果は身体に大きなダメージを与え、なおかつ断薬3ヶ月で再発転移という残念な現実です。
治療中から何度も投薬量を減らし、癌との共存、体への負担を軽減することを望みましたが理解は得られませんでした。
看護師にもずいぶんとお願いしましたが、主治医の判断の尊重が優先されました。

再発を確認したのは主治医ではなく近在の診療所でした。
毎月調べてほしいと依頼していたマーカー測定がなされず、診療所のご協力のもと、3カ月連続で上昇したデータを示しましたが当初はかたくなに否定なさっていました。
それでもしつこくお願いして骨シンチを撮ったところ集積が認められ、その後のPET-CTで放射線医の診断を得てようやく骨転移を確定していただきました。
やっと予防的投与という名のもとのビスフォスフォネート剤のみの治療にこぎつけましたが、多臓器転移の懸念を持つ私の不安は聞き入れてはいただけませんでした。
その後やはりマーカー値が微増を続け、ようやく先日内服抗がん剤の処方をいただきましたが、再発確認から半年以上を経過してしまいました。

足の速い種類の癌であり治療法も少ないため、先手を打つことと、いかになだめつつ共存するかを考える私の素人考えはいつも一笑に付されていました。
インフォームドコンセントの名のもと、選択肢のほとんどない一方通行、ネットで調べてもあまり見出せない治療について後手後手の情報収集という情けない自分の非力を悔やんでいます。
ご機嫌を損ねぬよう言葉を選び、平身低頭して相談してもお考えと一致しなければあからさまに不快感を示され、または「よくあることです」の一言で終わります。

知識も情報も何もない中、自分の体と折り合いながら最期の時間を納得して生き抜きたいと希望する私に同情してくださった近所の内科医が、対症療法でさまざまな身体的苦痛を軽減しようとしてくださりなんとかここまでやってきましたが、専門外のため徐々に手に余るようになってきております。

セカンドオピニオンに訪ねた複数の医療機関からはやんわりと拒絶されました。
治癒の見込みのない難しい症例、治療法も少なくおまけに再発、それ以上に私個人の苦痛よりも医師同士の連帯感が優先されることが根底にあることは想像に難くありません。

転院の希望は強いのですが、体力的に通院の労苦は遠距離の病院にはかなわず、近隣の病院には以上の事情でお邪魔もできず、また、高度医療機関では最期の時を過ごすことができないことが明白であり、ネットを頼りに小規模有床診療所で化学療法を行う医療機関を探す日々です。
転院先が見いだせるまでの期間、なんとかお互いの気分を傷つけないように付き合うにはどうすればいいのかを、ずっと考えている次第です。

誤解があるといけませんが、主治医は大変情熱的な方であり誇り高く誠心誠意の治療を行ってくださっています。
ただただ私との見る方向が異なっていること、そしてそれがお互いの価値観・人生観の決定的な違いであることが最大の不幸だと思っております。

Re:患者がチーム医療に参加する意義
上田(兵庫県) 2008/12/03
たいへんつらい状況ですね。
心からお察し申し上げます。
私自身も実際の医療の現場にいて、瀬戸山先生の語られるような理想と現実のギャップに息が詰まりそうになるときがよくあります。

私は薬剤師という立場ですが、いつも患者さんから多くの質問をうけます。薬のことだけでなく治療方針の考え方や検査データについてもです。そして患者さんが納得できるまで情報をお伝えします。

患者さんが自分で勉強してこられた事を一笑に付すなんて、社会常識が欠落しているといわれても仕方がないですよね。(by 某総理)医師だけでなく、薬剤師、看護師も同じだと思います。

「よく調べられましたね。ただ少し理解が違っているところがあります。またわからないことがあればいつでもご相談ください。」
これぐらいの言葉はかけてあげてほしいものです。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
北山(兵庫県) 2008/12/03
大変な思いを教えて下さりありがとうございました。文章から、これまでがんと真正面から向き合いながら、様々な困難を乗り越える努力をされてきた経過が良く理解できました。これまで辛い現状の中で頑張ってこられたことも良く解ります。その中で、医療者との関係に複雑な思いを感じながらも、客観的に考えられていることも。このような方に、返信するのにどのようなことを書いたら良いのか、かなり考えてしまいました。今は内容から、相談支援センターに所属する看護師の相談員として考えたことを書き込みたいと思います。

一つセカンドオピニオンに関しては、医療者の連帯と思われている部分もあるとありますが、これは真実、ご自身も書かれているように難しい症例の中で、医療者の連帯というよりかは仕方がないことなのかもしれないことだったのではないかと思いました。
あと一つ、近医の内科医師が全身の管理をされているとのこと、手に余るようになっているとありますが、想像するに緩和に関する視点がこれまで以上に必要になってきているからではないかと思いました。痛みの治療等、緩和医療を行う医師はいますが、緩和も症例が難しくなってくると完璧にそれを行える医師の数は減ることが想像できます。緩和医療はがんと診断された時から必要と言われているので、緩和医療という視点でも今後考えられたらどうかと思いました。これらの考えは文面からとらえ、感じたままの意見です。ですので、誤解があるのならばお許し下さい。

相談員として、がん患者さん方の辛い現状を聴くことが多いです。容易ではない問題を解決することはできずにいる中、どうしようもない現状に辛くなることも多いです。医療者のどの職種でも同じ感覚に陥る時はあると思います。でも、医療の世界も患者さん方を中心に大きく変化していることも感じます。一生懸命頑張ってこられた中で、ダメなことばかりではなかったと思います。また今後、辛い現状は変わらないかもしれませんが、何かその中でもプラスに感じることができるよう生き抜けていけたら良いと思います。そうなることを遠方からですが応援しています。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
瀬戸山修(宮城県) 2008/12/03
辛い状況でのお気持ちを知らせていただき,ありがとうございました。
僕も,埼玉に住んでいたことがありますので,自分のことのように考えていました。僕ならばどうするかと考えていましたが,正直,上手い答えが導くことが出来ないでいるというところです。
 仙台で在宅ホスピスケアにも関わっていますが,医療や病院に不信感をお持ちの患者さんもいます。その方々と接するときには,出来るだけお気持ちをお聞きし,どのような療養生活を希望されるのかもお聞きします。時には,無理と思われる希望を話される方もいます。例えば,抗がん剤治療を希望しているのに,してくれなかったということがありますが,患者さんの状態をみても,抗がん剤では,プラスになるどころか,害になり,よりよい療養生活を送れなくなる可能性がある場合も,あります。そのことをお伝えし,症状のない療養生活を送るために,どうするかをお互いに考えることが必要となってきます。
 こう書いていても,担当の医師などと上手いコミュニケーションが取れていない状況では,何も役に立ちませんよね。
 僕は薬学専門ですが,どんな治療も,健全な生活(運動,栄養,精神状態)が基本で,それがなければ,どんな優れた治療でも,良い効果が得られないと考えています。
 信頼できる方に相談しながら,気持ちを楽にしていただくことも必要なのかもしれません。その上で,次の手を考えてみるということしか,今の僕には言えません。申し訳ありません。
 医師の方がこの状況でどのようなご意見を持っておられるのでしょうか
Re:患者がチーム医療に参加する意義
後のない患者(埼玉県) 2008/12/03
自ら「愚痴」と記載いたしましたが、私は愚痴など吐いても何の解決にもならない、
問題があればその困難を解決する手段を探す、という考え方で過ごして参りました。
多くの失敗はあれどそれもまた自分の身から出た錆、
反省とともに前を向いて生きてきたつもりですが、
今回直面している困難だけはどうしても自分の手では解決できずにおります。

温かいコメントの数々をありがとうございました。
けれど、やはり解決策はない、という事実が私を打ちのめしてしまいます。

病苦についてはどうしても専門的な支援を仰がざるを得ず主治医にすがっておりましたが、
自分の生き方を押し殺してまで付き合う必要があるのか、
しかも生存の可能性すらない未来を無為に費やしてよいのか、
と思い悩む毎日です。
これが少しでも治癒の可能性があるのならいくらでも我慢してしまいますが(笑)

特殊な症例に自信をもって研究なさっている主治医であるがゆえに、
症例に私を当てはめることを優先なさいます。
3ヶ月での再発はどうしても認めるわけにはいかなかったのでしょう。
再発が事実となってしまった今は、私は彼の興味の対象外になってしまいました。

同様に看護師たちも教科書的な対応で私を支援しようとします。彼女たちの善意は理解できます。
しかし何が必要なのかのピントのずれた対応は、精神的にとても苦痛です。
私は彼女たちに 教科書は事実の集大成にすぎない と申したこともございます。
私には慰めなど無用、解決手段を具体的に提示してさえくださればありがたいのです。

こんな私はこの病院では面倒な患者、モンスターのようです。
緩和担当の看護師からは 自己主張が強い とも言われました。
痛いものを痛いということがなぜいけないのか、いまだに承服できません。
きっと病院の都合、医師の都合に合わせられない患者は迷惑な存在なのだと思います。
病院の都合で癌になったわけでもないし、病状の変化は診療時間にはお構いなしなのですが。
私はただただ体の苦痛を軽減してほしかったのですが顧みられることはありませんでした。

そのため体が不調をきたしたときは近医に駆け込む日々でした。
近医は一応内科を標ぼうしてはおりますが、実際の専門は全く異なります。
それでもできる限りの支援をくださいました。
私のためにいつも薬学辞典を用意して診察してくださっていました。
できないことはできないとはっきりおっしゃる誠意が嬉しかったです。

私は今、いったいこの1年はなんのために苦しんだのか、と、とても悲しく思っています。
こういう治療をすると私のように辛い患者も出現する、
だから細心の注意を払って引くべき時は引き柔軟に対処すべきだ、
という礎になるならまだしも、
たまたまエビデンスが取れなかっただけの症例と打ち捨てられることで、
後に続く患者さんたちへの指標にもなれないことに、自分の命の薄っぺらさが情けなく悔しい限りです。

信号機1基作るために何人もの尊い犠牲が払われます。
しかし私はその価値さえうみだせないまま一生を終えなければならない。
癌で死ぬことよりもこちらの方が無念でなりません。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
たかぎまりこ(海外在住) 2008/12/04
お話を続けて下さり、あなた様の状況がみえてきました。このサイトは日本のがん医療を本気で変えたいと思って活動をしている医師、看護師、薬剤師その他の医療関係者がたくさん閲覧しています。ここに勇気を出して投稿してくださった事は必ず未来のがんチーム医療に良い影響を与えると思います。大きな意味でチーム医療に参加してくださっていると言えると思います。

私は元看護師で今は主婦です。現役時代たくさんの患者さんと出会ってきましたが、私は自己主張が強い患者さん好きでしたよ。もちろん最初は「おっ!」とビックリしますが患者さん自身の事、どうしたいと思っているか伝えていただいた方が問題解決が早いからです。何より「伝えたい」とがんばっている患者さんの気持ちを大事にしたい、と思っていました。本当に色々な人生観の患者さんがいました、十人十色です。病院にとって都合の良い患者になる必要は無いと思います。自己主張が強いと言われようが、医療者からどう思われているか気にしている時間がもったいないように思います。Don't mindです。

さて、近医の医師とは良い関係が築けているようなので、これから医療者とどうしていくかも希望が持てると思います。
どのような病院でどのような医師で、あなたの病態がどうなのかはわかりませんが、あなたが書いてらっしゃるように根治が望めず、かつ根治だけを目指しデーター収集にしか興味が無い医師なのであれば、一度主治医に立ち止まって頂いてこれからどうしていくかを話し合う必要があると思います。主治医の興味の対象外になってしまっていて十分な医療を受けられていないと感じながらこのまま進んでいくのは気持ちの面だけではなく、病態的にも不利だと思います。
このコミュニケーションの問題の解決策はやはり話し合っていくしかないのではないでしょうか。
この先の人生をすがすがしく生きていく為に、もう少し力を振り絞って、わかっていただけるまで話し合っていってほしいと思います。
治療方法や薬について具体的に意見をすると気分を害されるようなので(笑)、コミュニケーションや考えの違いに焦点をあてて話してみてはどうでしょうか?
これからのことをゆっくり相談したいのでお時間下さい、、など事前に前置きをしておくと医師も心構えができるでしょう。そして、医師と見る方向が違っている事に困っていると今の気持ちを素直にストレートに伝えてみてはどうでしょうか。あなたが、こんなに苦しんでいる事きっと主治医の先生はわかっていないと思います。文章から、主治医とあなたの間に分厚くて高くそびえ立つ壁があるように感じました。

Re:患者がチーム医療に参加する意義
上野 直人(海外在住) 2008/12/04
これまでの話をまとめるとどうもコミュニケーションが患者と医療従事者の間でないみたいですね。

医学的な真実がどこにあるのか、またその真実をもとに科学的になにを施すかは、この掲示板の情報だけではなんともいえないが正直な感想です。いかに、ネット上でセカンド・オピニオンが難しいかを指しています。ネットで個々の具体的な医療相談ははっきり言って危険なことが正直な僕の感想です。

例えば
低容量の化学療法、骨のbisphonateの使い方、腫瘍マーカーのはかり方、あげればなんともいえない医療項目が一杯です。これらをそう感じるのは情報と前後関係が見えないからです。

ただ、いえるのはコミュニケーションに対する不満が大きいので、コミュニケーションがとれていないことを主治医および医療チームに言われましたか?しかもいかに怒らないで、感情を全面にださないでこれを伝えることが大切です。


たかぎさまへ
後のない患者(埼玉県) 2008/12/04
もう書き込むのはやめようと思っていたのですが、どうしても申し上げたくて、失礼を承知の上書かせていただきます。

主治医とは何度も話し合いを行っています。
手を替え品を替え、ささやかなおやつを差し入れたり食事もまともにとれないほどお忙しいので簡単なランチを届けたり
それはもう、本当にできる限りのあの手この手を用いてきました。誤解されたくはありませんが、心からの感謝の気持ちを込めての行為です。
それでも治療方針という彼の牙城については、どうしても自尊心の高さが私を拒絶していました。

一般論として「良く話し合う」というアドバイスはまさに一般論でしかありません。
話し合い、とは互いの言い分を受け止めあうことです。一方的に言いっぱなし、聞きっぱなしは話し合いとはいえません。
話し合いたくてもそれができないから悩み迷っているのです。

人の性格や考えは他者が簡単に変えることはできません。
ましてや優秀で努力家の医療者に凡人風情が何をできましょうか。
それでも闘病という共通目標があれば、なんとか折り合えないかと願ってまいりましたが、その気持ちをお互いが共有しない限り無理なのです。

病院に行くと明日への希望をいつも打ち砕かれます。
励ます自分に酔いしれる看護師たちの、求めてはいない「アドバイス」
上から目線の「してあげる」奉仕
すべてが教科書通りであり、個別の患者に対応しているものではありません。
私はプライベートなことをいろいろ言われるよりも、今ある苦痛をどうすれば軽減できるかの答えだけがほしかった。
しかし一度ももらうことはできませんでした。
それほどまでに抗がん剤の副作用は多岐にわたり激しかったのです。

「どの患者さんにも平等に」という言葉には、実は不平等が存在することを医療者の方は理解なさっているのでしょうか?
手術をすれば治る患者は術者を神とあがめ信奉し、いつまでも高度機能病院に通い続けます。
そして医師たちはどんどん忙しくなり時間がなくなります。
治療法の少ない患者はそのおかげで命の時間をどんどん失っていきます。
私は副作用によるすさまじい苦痛にも通院先を頼ることができませんでした。
「様子を見てください」「診療時間に来てください」と言われれば我慢せざるをえません。
資格も技術もない自分が深夜のトイレで立つもかなわず座るもできず、5時間かけてひたすら摘便するみじめさ、悲しさを
「良く話し合いましょう」という答えで納得することはできません。
それでも自分の体のことですから近在の診療所を調べ上げ努力してまいりましたが、結局再発という現実を考える今医療は本当に困っている患者を救うものではないということを痛切に感じています。

今回も困り抜いて相談を書き込み、明白になった解決策がないという事実を受け止め受け入れようと覚悟した直後に
またありきたりの「話し合い」を持ち出されるのは大変残念に感じました。

ネットでどのような立派なことが述べられていても、それは元気で生を得られる幸せな患者たちだけへの恩恵です。
あるいは高い理想に燃える非現実的なユートピアです。
実際の医療が相手にしているのは治癒の見込みのある患者ではありませんか。まさにトリアージです。
打ち捨てられて死を待つだけの悲しみとそうでない患者を「平等に」扱う医療とは一体何なのでしょうか。
病苦のつらさを抱える患者にさらに追い打ちをかける「よく話し合いなさい」という叱咤が、どれほど孤独感を募らせるかを、かけらでもわかっていただきたいと思います。

Re:患者がチーム医療に参加する意義
上野 直人(海外在住) 2008/12/04
再度のコメントを頂きありがとうございます。

この問題に関してはチームオンコロジーの医療従事者でよく話しあいがおこなわれます。

医療従事者側の目標は以前にこう書かせていただきました。

癌治療・ケアの目標はがん患者の高い満足度を得ることである。医療従事者はこれを肝に銘じる必要がある。いうのは簡単だがむずかしい。満足度は、癌お縮小する、切る、長く生きるなど、様々なものによって向上する可能性があるが、これだけでは決して満足できるかは全く別問題である。患者自身の社会的なニーズ、あるいは個人のニーズによって大きくかわる。このニーズが何かは個人によるが、仕事を続けたい、孫と一緒にすごしたい、おいしいものをたべたい、様々である。

つまり、このニーズは患者が言わないと医療従事者はわからないのである。また、家族が代弁できないことも多々ある。家族に遠慮して言えないときもある。でも、この人生におけるニーズをむづかしい病気でみつけるのはとてもむずかしくかんじるときにある。人生のニーズがわかっている人は、医療従事者とのコミュニケーションが得意な人が多いと思う。

何で生きているのだろうか、なんのために生きているのだろうか。これがニーズ、自分にとって必要なものであり、満足度につながる。これろ科学的真実に基づいた治療とケアをつなげるかが、医療従事者の仕事である。

でも、医療従事者は患者の気持ちを見抜くプロではない、笑。お忘れなく。努力をする必要があるのだが、患者が言ってくれないとわからない。それだけに、患者の思いが伝わる医療環境を創る必要がある。また、様々な医療従事者がチームを組んで患者の思いを見つける必要がある。

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最後に医療従事者の頭を改造するのは簡単ではありません。口ではコミュニケーションと言っても、ある一定の研修期間の人が医療におけるコミュニケーションの方法論を変えるにはかなりの努力をする必要がありません。

納得出来る答えでないかもしれませんが、医療従事者は患者の思いを知る努力をコツコツと、また、ユートピアであると感じられるかもしれませんがその目標をめざし活動することが大切だと思います。

叱咤ととられて残念です。でも、現実は「後のない患者」と今直面してる医療従事者がコミュニケーションをとる努力するか、

あるいは

医療従事者を総入れ替えするかのどちらかだと思います。

もちろん、総論としては我々は努力するしかないんだと思います。貴重なコメントありがとうございます。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
たかぎまりこ(海外在住) 2008/12/05
ありきたりな「話し合う」という言葉でさらに孤独感を募らせてしまい、申し訳ありませんでした。少しでもお役に立てれば、と書き込みましたが残念です。さらに、今までのご経験から医療者に対しての批判的な意見、とても悲しく感じます。それほどまでに、抗がん剤の副作用に苦しみ、あの手この手で医師と話し合う努力をし、大変な1年間だったのですね。

ただ単に「話してみれば良いんじゃない?」と気軽にお伝えしたのではないです。医療従事者も十人十色です。「わかりあえるまで」伝えていかなければならないだろうと言いたかったのです。わかってもらえているのか、そうでないのかも確認していかなくてはなりませんし。これは難しいと思います。すごくエネルギーが必要だと思います。主治医に手紙、FAXやメールを送ったり、早朝に電話したり、診察が終わるのを待って最後に時間を頂いたり、多忙な医師とコミュニケーションを取るのに苦労されている患者さんたくさんおられました。患者会では他の方々がどのようにして主治医とつきあっていっているか、いつも活発な意見交換がなされていました。中には、再発していても今は治る見込みがなくとも医師や医療者と良い関係を築き、自分の価値観や生活に重きをおいて治療を続けておられる患者さんも現実にいらっしゃいます(もちろんみなさん一番は完治したいと切に願ってらっしゃると思いますが)。症状に合わせて近医と専門病院を使い分けておられることもしばしばありました。

この掲示板で他の患者さんから主治医とどうコミュニケーションをとっているか教えてくださる方がいらっしゃるといいのですが。それも、ただの一般論、理想論にしかならないでしょうか。

とにかく、せっかく書き込んでいただいたのに一緒に解決策を見いだすことができずすみません。でも今回あらためて、がん患者さん、抗がん剤治療の辛さを教えていただきました。あなたのような思いを抱きながら医療を受けている患者さんがいることを知ることができてよかったと思います。これからのがんチーム医療を作っていく中で大切なことがまた1つ明確になりました。より患者さんが容易に参加しやすい体制をつくっていけるようがんばっていきます。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
後のない患者(埼玉県) 2008/12/05
しつこい自分に嫌気がさしていますが、もうひとこと言わせてください。


辛くのたうち回っている患者が 「医療者とよいコミュニケーションを取る努力をする」ことなど 絶対に 無理!!!!です。
それができるのはある程度の元気さがあって初めてのことですよ。
なぜそれを理解していただけないのでしょうか。。。。

だからこそそんな状態になる前に自分の希望も伝え生き方の願いも伝えたつもりです。
よしわかった、と言われた時の安心感は思いがけない副作用に吹っ飛びました。

病院から頂いた治療法の冊子には全く歩けなくなる全身痛、睡眠障害、咳、膀胱炎、便秘、皮膚障害(他にもいろいろありましたが)など一文も書かれておりませんでした。
事前の心の準備などないまま文字通りの七転八倒です。

うろたえ苦しむ私を救ってくれたのは時間だけです。
いまだにまともに歩けません。
ここまで激しい副作用が出現しているにもかかわらず減薬の願い、治療法の変更は聞き入れられませんでした。
いったいどういう言葉を選べばよかったのでしょうか?そんな余裕はありませんでした。
ひたすら「痛くて眠れません、辛いです、呼吸ができなくなるのです」等々症状を伝えるだけが精一杯でしたが
よくあることです、と一蹴されました。
日常生活が全くできなくなることがよくあることだなんて大問題と思う私は彼にとっては単なる素人です。

お薬を減らせませんか、とお願いする根拠に癌治療のガイドラインを確認しました。
そこでは不向きであると示されている治療を、成果の出ているスタディ、癌治療学会で発表してきた、と押し切られました。
確かに成果のある患者さんもいらっしゃいますが、私には・・・
正直な話 癌ではなく抗がん剤で死ぬのでは、と思いましたから。

それでも寛解を得られればまだ救われます。
お薬をやめた途端のあっという間の再発、しかもそれを当初認めようとしなかった主治医に、これまた言葉を尽くして何度も何度も頭を下げてようやく検査をしていただきました。


上野先生は 医療者の努力か総入れ替えしか方法がないとおっしゃいましたが、もうひとつ、一番確実なのは私が死ぬことではないでしょうか。
この板でも病院でも、そして主治医にとってもうるさく煩わす患者が一人減るだけです。これは悔しい。まさに犬死です。


人は必ずいつかは死にます。
逃れられることはないからこそ自分らしく生きていたい、ついでにできれば苦しみたくない(笑)と願うことが
主治医となる方の価値観で変えられてしまうって悲しいです。
でも、どうせだったら笑って死にたいじゃないですか、私もよく頑張ったよな~、って言いながら。
そのためには絶対に心に余裕がなければ笑えません。

ちなみに点滴室の看護師さんたちは 悪性度の高い病気を覚悟して受け入れている私の価値観については一切何もおっしゃいませんでした。
自分にはそこまで応えきれない、と泣いた方もいらっしゃいました。
泣かれても痛みがなくなるわけでなし、複雑な心境でした。


主治医の情熱と自信を信じた私がばかだったのか、それとも彼にきちんと伝えられなかった私がいけなかったのか。
その落ち度のつけを今自分の体で払っているのでしょう。
でも私は主治医なりの最善を尽くしてくださったことは理解し感謝しています。
私の価値観とは相いれませんが。

いずれにせよ損得で考えれば 患者だけが損をするのが今の医療だと思いませんか?
コミュニケーションについても、患者に強いる負担のほうがとてつもなく大きいとしか思えません。
患者は(特に私は)みなさんのようにそんなに賢くはないんです。
(ちなみにこの文章を打ち込むにも半日かかるほどいまだに末梢神経が麻痺しています、冗長なこともありますが・・笑)

Re:患者がチーム医療に参加する意義
佐藤 由美子(愛知県) 2008/12/05
医療者の最大の目的であり、喜びは、患者さんを治すことです。
自分の目の前にいる患者さんを治すために、ありとあらゆる手立てを考えます。
患者さんを苦しめたいとは、決して思っていないです。
患者さんに「ありがとう」と言われたいし、笑顔を見たいからです。

ただし、「治すために、苦しみをともなう」
このときに、非常に悩みます。
「効果がないし、苦しみをともなう」のであれば、きっぱりやめられるのですが。
しかし、がんの治療の場合、「治る」の意味がそのときどきで変わってくるのが
他の病気とは違う、難しいところです。
「治す」というのは何を治すのか、
そして「苦しみ」はどの程度の苦しみなのか、
この点を、医療者と患者さんの間で共有すべきなのでしょう。
これが共有出来ずに、治療を続けていることは、お互いに不幸です。
医療者の側も、決してハッピーではないはずです。
私だったら、そう思います。
ちなみに、私の知る限りでは、
当院では患者さんの望まない治療を強いることはないです。

そこで、ひとつ疑問に感じた点があるのですが、
あなたが化学療法を始めるときに、同意書にサインをされたかと思います。
そのときに、その同意はいつでも撤回出来ることは説明がなかったですか?
あなた自身が「後のない」と仰っているように、
このままの状況が続くのはよくないと思います。
今後、どうしたいとお考えですか?

Re:患者がチーム医療に参加する意義
匿名(東京都) 2008/12/05
死に対する恐怖。
これを受け入れない限り、今のあなたの怒りを納めることは出来ないでしょう。

残念ながら、あなたが書いたように人は必ず死にます。私も必ず死にます。それを受け入れてください。人生は楽しいですが、甘くないです。終わりは必ずきます。

良い主治医にめぐり合っていたら、今のあなたの怒りはなかったでしょうか??

良く考えてみてください。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
後のない患者(埼玉県) 2008/12/06
佐藤様
 同意書の撤回については、たった今初めて知りました。 いかに自分が不勉強であったか、愕然としています。本当に情けない。恥ずかしい限りです。(説明は当然のことながらございませんでした。)
 私が痛みを訴えたとき、主治医からは「僕は説明しましたよ!」と、怒鳴られました。1メートルの距離移動をはいずるほどの痛み、とは想像できませんでした。
 この治療をやめたい、ということは何度も申しました。看護師にも伝えました。辞めたらあなたの希望はかなわない、と言われました。
せめて量を減らしてほしいともお願いしました。
いろいろ調べるうちに効果のある薬剤は量を減らしても奏功することが多いということを知ったからです。私を実験台にしてください、ともお願いしましたが、倫理的にできない、と言われました。

今望んでいるのは転院です。
ただし、なかなか受け入れてくれる医療機関がないという困難を抱えています。
叶えられないかもしれないその期限であっても全力を尽くしたい私を支えてくれる医療機関を探している最中です。
最終的に助からないことを前提とされているようで、なかなか引き受けてくださる所が見つかりません。
私としては再発してしまったのだからどこの医療機関でも行うことは同じだろう、と想像するのですが、今までの経過がわかっている病院の方がよいですよ、と言われておしまいです。

でも、もう怒鳴られるのには飽き飽きしました。
最後の時間くらい穏やかに過ごしたいです。

 
匿名様
 私は自分の症例を知ったとき余命が極めて少ないことも理解しました。
 ただ、家族の事情のためある期間だけはなんとか元気で過ごしたいと願いました。
 主治医は自信をもって「目指します」とおっしゃってくださいました。嬉しかったです。
 今でもその期間さえ元気に全うできれば何も望んではおりませんし、症例の少ないケースだそうですので、いくらでも実験材料にしていただいて構いません。ただし、痛いのはもうこりごりです。
ちなみに5年、10年という長い年限ではありません。

 死ぬことはさほど怖くありません。むしろ時間の限りがはっきりわかったことがありがたいくらいです。
さばさばしているので家族は体調の悪さを除けば予後の悪さを全く信じていないくらいです。
 理解していただけないでしょうが、ただそれまでの時間を納得して過ごしたいのです。


生きていると努力をしても報いられないことはたくさんあります。それはいたしかたないことです。
しかし、報われなかったとしてもその努力が本来望むものと方向性が一致しているのかどうか、私にとってはそれが重要です。
やるべきことをやったが叶えられなかったことをどうして否定できましょうか。それは自分を否定することにつながってしまいます。
(だからやるべきことをやらずに同意書の撤回を知らなかった自分を今は許せません)
やるべきことが違っていたら修正すればよい。それでも結果が伴わないことはたくさんあります。
しかし、正面から向き合っての失敗なら受け止められるのが一般的な感情だと確信しています。その失敗は明日への道しるべになるからです。

私は当たり前の生活が全くできない治療では希望する所業が不能であることが納得できませんでした。
しかも副作用は人によって違うと言われつつ「みんな同じ、よくあることです」と矛盾する説明を受けては得心はできません。ネットで同病の方と情報交換をしましたが、私のそれはかなりひどい状況でした。
患者の背景は十人十色、みんな同じなら再発も同じですか?違いますよね。

難しい疾患だからこそ、当事者である私の考えをきちんと理解してほしかったです。
少なくとも私は主治医の方向性についてはそれなりに理解していた(いる)つもりです。

医療者に多く見られる 「患者はこうあるべき」「患者なんてこんなもの」というステレオタイプの価値観、絶対の自信、そして決め付けを今回も痛切に感じています。
それ以上にまだまだ勉強不足なことを実感し、この負担にいつまで体が持つのだろうかと、ほんとにがっかりしています。





Re:患者がチーム医療に参加する意義
後のない患者(埼玉県) 2008/12/06
追伸
匿名様

主治医の名誉にかけて申しますが 彼は本当に良い医師です。
ご自分の時間を犠牲にして、一人でも多くの患者を診察しようとなさっています。食事の時間さえ削ってらっしゃいます。
本気であの方の体が心配です。
症例研究にも熱心です。たいへんな努力家であり勉強家です。

私は主治医と病気のあり方についてを話すときがとても楽しかったです。

彼の眼中に自信に裏打ちされた癌をたたくことが優先されていたことが私たちの間の決定的な不和の原因です。
癌の縮小を目指す患者にとっては神にも等しい方でしょう。


彼の中でこんなに早く再発することは承服できなかったのではないでしょうか。
私とだけ相性が合わなかったのです。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
POP(奈良県) 2008/12/06
このサイトの医療者は、とてもいい方ばかりですね。
私は「後のない患者」さんの主治医のような医師を知っています。
そして同じように苦しんでいる患者を何人も知っています。
そして誰もその暴走を止めることはできません。
なぜなら医者だから。
患者の幸せなんて願っていませんよ。佐藤さん
むしろややこしい患者は、転院するか亡くなる事を願っています。
それから化学療法の同意書は治験ではないので、撤回の記載が必ずあるとは限らないと思います。

「後のない患者」さん
自分をどんなに変えても、その医者は変わらないと思いますよ。早く転院先が見つかるといいですね。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
ひかり (北海道) 2008/12/06
長い事いろんなお医者さんに掛かってますが、患者の要望を
全く無視しての治療ってあるのですか?
私の認識不足と言われればそれまでですが、なにか釈然としないのです。
真実が見えないというか、矛盾があるような気もするのですが。


>辛くのたうち回っている患者が 「医療者とよいコミュニケーションを取る努力をする」
ことなど 絶対に 無理!!!!です。
>それができるのはある程度の元気さがあって初めてのことですよ。

但し、これに関しては全くその通りだと思います。

しかし、こじれてしまった今の状況をどうすればいいのか、答えが出ません。
がん難民となるかも知れない・・・・。
上手く転院先が見つかればいいのですが。

きっかけとなったコラムをブログで紹介しているので、患者の立場から何か皆さんに考えがあればと思い、掲示板をリンクさせて頂きました。

色んな立場からお話下さっていても、すぐできる解決策がないのはやるせない事と思います。
私の心に響いたのは『匿名』さんの書込みでした。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
たかぎまりこ(海外在住) 2008/12/06
そうですか、そこまでこじれているとは今までの書き込みではわかりませんでした。そして、副作用のコントロールが全くとられていない苦しみの中コミュニケーションを良くしていくためにがんばるのは無理かもしれませんね。真の状況がわからなかったとはいえ失礼しました。(私も思いのまま書き込んでいますので、お気に召さない内容もありますでしょうがご了承ください。)
きっと想像するに、根治を目指していた最初は関係もよかったのでしょう。思いのほか副作用が強くさらに再発となってしまってから、関係の歯車が噛み合なくなってしまったのでしょうか。ひかりさんがおっしゃるように、私も釈然としないのですが、正直もし本当にそんな自分勝手な医師が私の部署にいたら許しませんよ!良い医師だと弁解することないのではないですか?

何より悲しくて残念なのは、たまたま出会った医師や医療者の対応で、日本の医療者全体のイメージが悪くなり、医療者がみな「後のない」さんの敵のようになってしまっていることです。POPさんがおっしゃるように日本中に同じような苦しみを感じながら、何も言えず我慢して辛い治療を受け続けている患者さんがいらっしゃるというのも、嘆かわしく、一刻も早く一人でもそんな患者さんが減るように何かせねばと思います。

病気でも病気が無くても、人生を納得して生きていくのは難しいでしょうね、苦痛を伴うでしょうね。私も「匿名」さんの言葉が心に響きました。

まだまだ詳細はわかりませんが、この1年間十分わかってもらえるよう伝えてきて、それでもわかってもらえない事が確認できているのならば、転院もしくは医師を変えてもらう事がベストかもしれませんね。「後のない」さんの言葉が足りなかったとか、言い方が悪かったなどとは思いませんよ。お書きになったような状況ならば、もはや相手(医師)に問題があるのでは、と思ってしまいますね。
転院先がみつかると良いのですが。私が以前働いていた病院では、転院してきたことをきっかけに今までの経験をもとに最初から良いコミュニケーションがとれることがよくあったように思います。個人的な意見ですが、「後のない」さんの主治医に責任をもって次の転院先を見つけてほしいですね。

私もしつこいですね(笑)。長々とすみません。
元看護師として、気にかかるのは抱えていらっしゃる「痛み」です。
痛みがあると不眠になるし、イライラするし、良い考えも出てこないので先ずは痛みだけでも感じずに生活できるようになると良いのですが。この問題に関してもきっと苦労されてきているのでしょう。痛みに対してだけ「ペインコントロールクリニック」に通われている患者さんもいらっしゃいました。不要なアドバイスでしたらごめんなさい。

余談ですが、病院のご意見箱には投書されましたか?匿名で出せますし、どの病院でも直接院長に届くので、結構病院を動かすきっかけになるようです。
みなさまにお詫びと報告です
後のない患者(埼玉県) 2008/12/07
もう県内では転院先が見込めないため遠方の医療機関を探し続けていました。
ここ数日、時間を作って集中的に複数の病院を回りました。
その結果これほどまでに医療者の認識に差があるのか、と愕然とする経験をしています。
板を汚したお詫びがてら報告いたします。


複数の医師の方との会話から

副作用の苦しさについて 
 化学療法は副作用がつきものであるが、そこまでひどいものに対し全く処置がなかったことは信じがたい
 ましてや自分で診療所を探していたなどとは自分の病院では考えられない

最新データがいただけないことについて
 検査結果は本来患者のものであり求められなくても見せる、届けることは至極簡単なこと

難治性の患者の場合腫瘍の消失を第一義にするのではなく余命の延長を最優先にすべき
なおかつ患者がそれを望んでいるのであれば躊躇なく行う


そして 患者の意思と希望を優先するのは医師の「義務」

という言葉を、ほとんど同じ言葉で頂戴しました。
ネットでは何度も見かけましたが耳で聞く、目を見ながら顔を見ながらのお言葉でした。

基本的に主治医も腫瘍の消失優先以外は同じ言葉を用いますが、その行為とのかい離は明白でした。
なぜならどの先生も何度も何度もカルテに記載なさるペンの動きが止まっていました。

お一人の方に 
「私はモンスターで自己主張が強い、と言われています」
と申し上げましたところ
「全くそんなことはありません」
と即座におっしゃっていただきました。

今まで対処してもらえなかった痛みに対し、呆れるほどの現状の処方量への不安にも
「痛みは我慢することの方が体に良くない」
「痛い時は心配せず使いなさい」
と、きっぱりとおっしゃいました。
「(辛いのは)みんなそうです」とはおっしゃいませんでした。
このとき私は号泣してしまいました。

また、ある先生は県内ではもう転院先がない、と悩む私に
「なんて腰抜けばっかりそろっているんだろう
 患者の命の方が最優先だろうに」
とまでため息交じりにおっしゃってくださいました。
この病院が一番遠く、通院に片道3時間以上かかってしまいます。



私だけの特異な体験で、現在の医療批判をしたことを痛切に反省しています。
ここ数日複数の医師の方と直接お会いして目を見て言葉をかわして、今ようやく1年間を無駄にしてしまったことを実感しています。
ある先生に「主治医はとても熱心で情熱的でいい方なんです」と申し上げたところ黙って顔を見られてしまいました。

さすがの私も去年からの近隣での体験と判で押したように全く同じ言葉をいただく数日の体験を比べて、
事実として受け止めていた今までの方が特異的な事例なのではないかと思うようになりました。
そして、この掲示板の私への批判は、今回お目にかかったような医師の方が不当な非難に対して普通に持つ感情なのではないかと、ようやく理解するまでに至りました。
一部を見ての一方的に批判してきたことを、どうかお許しいただきたく思います。


ついでながら今まで近場の通院先を求めて県内を歩き回っていたのはいったいどんな意味があったのか、も考えました。
私の県でのがん死亡率において女性に限ってはワースト10に入っています。
その要因に病院数、医師数、手術件数ばかりが取りざたされますが
知識も情報も少ない愚かな女性が、主治医を絶対と信じて信頼して、もめ事を厭って黙って死んでいった結果も実はここには含まれているのではないでしょうか。
同じことを言い続けてきた昨年来からの医療機関めぐりも
通院先名と主治医の名を告げたとたん顔も見てもらえなくなったとをふと思い出します。

患者は無条件に医師を信頼します。
しかし医師の方が患者を信頼してくれなければコミュニケーションはとれないのだ、と今回痛切に感じました。
私を批判なさった方々へも、私個人が信頼を得るに足りないからこその批判であることはよく理解できました。
主治医とはコミュニケーション以前の価値観の相違だということもわかりました。

こちらの板で一方的に医療批判をしましたことを心からお詫び申し上げます。
自分も含め文字だけの情報発信にはやはり限界があること
それでも何をどう伝えていくべきなのか、伝えない方が良いのか迷いは尽きません。
できれば私のような患者がもう二度と出現しないことだけを
必死に祈る今の心境です。
痛む体で患者自身がここまでやらねばならない悲しい現実だけはどうか医療者の方に知っていただきたく思いました。



さて、皆様にはあまりご縁のない今後のことですが
いずれの病院もかなりの距離の通院であり
どちらの先生も「受け入れます、ただし通えきれますか?」と
懸念なさっています。
「来るんだったら一日も早くいらっしゃい」という言葉に
やはり最期の時が遠くないことが前提でした。
厳しい現実を事実として今受け止めています。


Re:患者がチーム医療に参加する意義
上野 直人(海外在住) 2008/12/07
コミュニケーションがとれてよかったですね。(^^)
チョーうれしいです。

ちなみに、誰もこの掲示板への批判としてはとっていません。ここに書き込みをされている患者さん、その家族、また医療従事者も、厳しい現実の中でも、よりよい医療に巡りたい、作りたいを夢 (ドリーム) を見ながら、やってます。

私たちは今回の書き込みで学ぶことが多かったです。厳しい現実をどのようにインターネットの掲示板という限られたコミュニケーションでキャッチボールをするのか難しく、僕自身も苦しんだし。他の人もそうだったと思います。

でも、夢を持って医療をしててよかったです。

ありがとうございます。
こんごともよろしくお願いいたします!
Re:患者がチーム医療に参加する意義
たかぎまりこ(海外在住) 2008/12/07
少し良い方向に向いたようで、私も全身の力が抜けました。よかったです。決して「後のない」さんを批判したつもりはありません。そうお受け取りになられるような内容でしたらごめんなさい。
確かに文章だけでのやりとりは難しいですね。でも、患者さんが行き場のない思いを素直に正直にぶつけられるBBSは良い場所だと思います。そして、書く事で少しでも問題の解決に役立てば最高です。
今回、患者さんの苦悩をとても学ばせていただきました。言葉の力、コミュニケーションでの解決を信じていますが、医療者側に聞く耳がなければ叶わないのですね。自分のためとは言え、患者さん自身が辛い身体で全て問題を解決していかなくてはならない苦しみ伝わってきました。教えていただいた事を忘れずに今後も私なりに活動していきたいと思います。
最後にもう一度。自己主張が強いことは、決して悪い事ではないです(上野先生がお書きになられたように伝え方は考えないといけないでしょうが)。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
佐藤由美子(愛知県) 2008/12/07
しばらく書き込みがなかったのでとっても心配していました!
同意書の件,決してあなたを責めたわけではありません.
どうしても,コミュニケーションが取れないなら,
別の手立てを考えざるを得ないと,やむを得ず考えました.
でも,今後の希望が見出せたようで本当によかったです.
これからもぜひお時間あるときに書き込みしてくださいね.
ご質問
後のない患者(埼玉県) 2008/12/07
このスレッドに書き込むことが妥当かどうか判断に迷うのですが
上野先生、たかぎさまは「よかった」「良い方向に向かった」
とお考えのようですね。

私が受け止めている「厳しい現実」と報告したのは 死期が近いことではありません。
通院可能圏内にコミュニケーションがとれる医療機関がない
最期の時をコミュニケーションのとれる医療機関に託すことができない
そして最大の関門が誇り高い主治医から 丁寧な診療情報提供書をいただくことができるのであろうか
という意味でした。言葉足らずで申し訳ありません。

繰り返しますがこの病気がわかったときから「死」を前提として生活しております。
根治など全く考えておりません(というかあり得ないようですし)
治療については自分の残り年限の計算とともに、後に続く方への道標となれることが判断の材料でした。
だからこそ副作用についても、減薬の希望についても、切実な問題でした。
そして間違いなく訪れるその時を納得して迎えるための努力が、この疾患を専門的に取り扱っていらっしゃる主治医への様々なお願いでした。


私が死におびえていると決めつけられているようですが違います。
上記の願いと私の死にまつわる残す家族の負担をいかに軽減するかも含めたうえでの通院可能な距離の医療機関を探しているのです。
たまたま理解を示してくださった医師が存在しても、通院ができず、最期の時を共有することができなければ
私の最大の希望、納得して最期を迎えることは叶えられません。


[そして、転院の話を持ち出せば間違いなく逆鱗に触れて、再び精神的に落ち込むであろう次の診察日をおじけながら迎えようとしている私がいます。
だから転院先がまだ確定できない今は、どのタイミングで診療情報提供所をお願いするかを必死に考えています。
「一日も早く」という言葉も重くのしかかっています。
この段落内のことは私個人の問題なので、状況確認にとどめスル―してください。]


ただし、なぜそこまで患者が不調な体で努力をしなければならないかを、私は皆様に問いたいのです。
たまたま初めて訪れた医療機関の運不運だけで片付けられないのではないでしょうか。
これは批判ではありません。純粋に知りたい。
悩んでいる患者があたふたと動き回り、後手後手ではあれどたまたま理解を示してくれた人と一期一会を得たことで、
「よかった、よかった」と終わるものだったのか、それを知りたいです。

皆様は たまたまコミュニケーションが取れた医療者との巡り合いでこの問題が解決されたとお考えですか?
私個人にとってはただ、状況が整理できただけのことなのですが
(あ、ある意味良い方向ですよね・・笑)


Re:患者がチーム医療に参加する意義
ひかり (北海道) 2008/12/07
皆さんネットの書込みで思いを伝える大変さを感じているようで、私も書込みで
誤解が生じています。

>私が死におびえていると決めつけられているようですが違います。

『匿名』さんの書込みで、私と同じ思いだったのは・・・・

>良い主治医にめぐり合っていたら、今のあなたの怒りはなかったでしょうか??
 良く考えてみてください。


ここの部分です。言葉足らずで反省しています。


>たまたま理解を示してくださった医師が存在しても、通院ができず、最期の時を共有することが
 できなければ私の最大の希望、納得して最期を迎えることは叶えられません。


田舎の両親は二人暮らしです。
父は肺がんで入院してます。
通院は二人共ずっと遠い一日掛かりの大きな病院でしていたので、この際田舎を引き払い療養しないかと、主治医も家族も話しました。
しかし父は積極的な抗がん剤治療をせず、田舎の病院で最期を迎える選択をしました。

遠いのでいざという時、間に合わない可能性大です。

気持ちが変わっても自分から言い出せないかもと、時を変えて何度も話しましたが同じでした。
最後は自分が生活していた所で迎えたいようです。

このように、家族と一緒に最期を迎える選択をしなかった父です。
二つ叶うなら、きっと最大の希望、納得した最期となるのかも知れないですが、なかなか思い通りになりませんね。
ひかりさまへ
後のない患者(埼玉県) 2008/12/07
私は家族と最期の時を共有したいのではありません。
治療してくださった医療者たちと 
  ともにこの難しい疾患に立ち向かったのだ
  敗れはしたが「お互いに」最善を尽くしたのだ
  お互い、よく頑張った、
と納得して死にたいのです。

それが今後この疾患に苦しむ患者仲間へのデータになることをゆだねたいのです。


最期のひと時を家族とともに過ごしたいのではありません。
そばにいてくれれば嬉しいかもしれませんが、彼らの事情を優先してくれた方がもっと嬉しい。
私はセンチメンタルな感情は持っていません。
死後の事務処理、遺体の搬送、すべての準備を自分で整えるためには自宅に近くなければ難しいからです。
これ以上は個人的事情なので詳細は記載できません。
「通えますか?」と問うた医師は、その事情を理解してくださいました。
即答できない距離なので転院の決断ができずにいます。



本当にネットだけでなく人とのコミュニケーションは難しい。

私が皆様にお聞きしたいのは
医療者と患者のコミュニケーションについて 病気についての知識がない上に身体に負担のありすぎる患者が、
より良いコミュニケーションのためにとはいえそこまで努力しなくてはならないのか、
ということなのですが・・・


そして匿名様とひかり様へは
そこまでの努力を患者に要求する医療者を「良い医師」とは思いたくない私の心の狭さを軽蔑されてもやむを得ない
というお返事をさせていただきます。



Re:患者がチーム医療に参加する意義
POP(奈良県) 2008/12/07
日本中の医師が「赤ひげ先生」だと思っているのですか?
ありえないでしょ。
このサイトの「良い医師」相手に、これまでの不運を愚痴っているようにしかみえません。
ここの不思議な人たちは、心からあなたを応援しているのだと思いますよ。

それから紹介状の件ですが猛犬が怖いのなら、虎か熊に同伴してもらってはどうですか?
病院長、議員、患者会、弁護士、気の強い親族でもいいと思いますが。
Re:ひかりさまへ
ひかり (北海道) 2008/12/08
朝一でこちらの記事を見ましたので、朝食前のぼーっとした頭での書込みです。
この件については、これを最後の書込みと致します。


>私が皆様にお聞きしたいのは
医療者と患者のコミュニケーションについて 病気についての知識がない上に身体に負担のありすぎる患者が、
より良いコミュニケーションのためにとはいえそこまで努力しなくてはならないのか、
ということなのですが・・・


それは『後のない患者』さんの希望が以下の所にあるからなのではないでしょうか。

>私は家族と最期の時を共有したいのではありません。
治療してくださった医療者たちと 
  ともにこの難しい疾患に立ち向かったのだ
  敗れはしたが「お互いに」最善を尽くしたのだ
  お互い、よく頑張った、
と納得して死にたいのです。

それが今後この疾患に苦しむ患者仲間へのデータになることをゆだねたいのです。



これは『後のない患者』さん、あなた自身の希望ですからね。

>敗れはしたが「お互いに」最善を尽くしたのだ
>それが今後この疾患に苦しむ患者仲間へのデータに

難しくないですか、これって。
データを残したいのであれば、最前線で研究している医師の元で治療を受けるのがベストですが。
また、献体という方法もあるかと思います。

とても高尚なお考えで、しかも掲示板を板と言わしめている所からすると、掲示板の書込みに精通している方なのかなぁと想像しております。
これもまた勘違いになるかも知れません。気を付けないとね。(笑)

病気の知識がないとは言え何もかも人任せで最大の希望は叶わないのではないかと思います。


>死後の事務処理、遺体の搬送、すべての準備を自分で整えるためには自宅に近くなければ難しいからです。


私の兄は北海道から東京の大学病院に転院し、そこで亡くなりました。
遺体は火葬してお骨でというお話でしたが、家族が田舎で待っている皆に最後に顔を見せてあげたいとの事を伝え、病院側で色々手配して頂きこちらから車で迎えに行き、ドライアイス詰めで7月の北海道に帰って来ました。
参考になるでしょうか?

因みにこんな体験もあっての、父の判断だったと思います。

何も死後の事まで考えなくても、自分がどうしたいかだけを家族にお話しておくだけで良いのではないでしょうか。
いくら完璧に準備したと思っていても、予期せぬ出来事は起こりますから。
そしてその時、患者は意識も無く思いを伝える術もありません。



>最期のひと時を家族とともに過ごしたいのではありません。
そばにいてくれれば嬉しいかもしれませんが、彼らの事情を優先してくれた方がもっと嬉しい。
私はセンチメンタルな感情は持っていません。


私もどちらかというと物事ビジネスライクに進めるタイプです。
『後のない患者』さんに、この先心穏やかで過ごされる日が訪れる事を願っております。

最後に、人間であれば全てにおいて完璧はありません。

Re:患者がチーム医療に参加する意義
たかぎまりこ(海外在住) 2008/12/08
1年間を無駄に過ごしたという思い、その悔しさはどれだけ年月をかけても癒えないかもしれません。今はどんな出会いも言葉も意味なくお感じになるのでしょう。「後のない」さんが言う「この問題」というのが患者が医療に参加できないことでしたら、コミュニケーションが取れる医療者のもとでなら解決します。これ以上は私が書ける事はもう同じ内容の繰り返しになってしまいます。

ひかりさんのお話を受けて、余談ですが、私の親戚も栃木で肺がんの闘病生活を送るにあたり、「家に帰りたい」という(たったそれだけの)自分の希望を叶える為にあちこち病院を探し大変な経験をしたのを思い出しました。
私の働いていた病院では、もし患者さんが外泊したいと希望されたら全医療者が総力を挙げて1日でも外泊できるよう働いたものです。当時この経験で私も病院による差に愕然としました。
彼は化学療法中ということで6ヶ月間入院してベッドで過ごし、結果は全身に転移。大事な日々を費やしても治らなかった悔しさをバネに、途中から気持ちを切り替えて、1時間でも自宅に帰れる事を目標に家族で協力し最終的には通院に2時間以上かかる病院へ転院しました。(今から思えば本当に最後の力を振り絞っての決断でした。)この気持ちを切り替える事が病院探しや転院よりもずっと大変だったように今思います。本人も家族も治らない事、現状を受け入れるのにセカンドオピニオンを繰り返し、それでも医療不信にならずにすんだのは、セカンドオピニオンで出会った医師(転院した病院ではない)の誠実なご説明のおかげでした。
転院してからしばらくして彼は最後の2週間念願の自宅で過ごすことができました。この最後の2週間本人は車を運転したり、お酒を嗜んだり好きなように過ごせてしあわせだったようです。病気が治らなかった悲しみは存在しましたが、納得の最後でした。

数日間,考えました
瀬戸山修(宮城県) 2008/12/08
 僕の書いた連載コラムが,感情を逆撫でし,体調が良くないというのに,あのようなエネルギーを必要とするコメントを書かざるを得なかった気持ちにさせてしまったことに対して,この数日間,考え続けました。
 ご指摘のように,がんの治療で,病状の進展や治療の副作用に苦しまれている方がおられることは知っています。全ての方を救えるとは思っていませんが,苦しまれる患者さんのお一人にでも,お役に立ちたいと活動を続けてきました。上野先生達の活動もおそらく同じだろうと思います。
 「後がない患者」さんに対しては,どのようなことから「後がない」と判断されているのかと思ってしまいました。ご自分でそう判断されているような印象なのですが。
 がん治療もそうですが,全てに完璧というものはないと思いますが,薬学の立場から言えば,その薬で治療したときに,どの程度の効果が期待できて,どのような副作用があるのかを調べて,患者さんとともに副作用対策を行いながら,よりよい療養生活を送っていただけるように提案します。
 「後がない患者」さんの場合には,予想より早く再発した,副作用が酷く,十分な副作用対策をしてこなかったことがきっかけのように推察しました。病名や治療や使った薬のことがわかれば,もうすこし具体的な提案が出来るかも知れませんが,掲示板という場では,それも出来ず,治療内容をよく知っている医師や看護師に相談してはいかがですかと申し上げました。しかし,これまでも十分話してきているということでしたので,それ以上のことは申し上げられなくなってしまいました。
 薬を使う前にどの程度の副作用がでる可能性があるか,その副作用の症状はどのようなものか,そのような症状が現れた時には,どのように対処するのかを患者さんと医療専門職と確認し合うことが大事と思って,看護師の方や薬剤師の方に伝えてきています。
 痛みに関しても,痛みの感じ方は,患者さんしかわかりませんので,患者さんに症状などをお聞きすることで,適切と思われる痛みの治療を提案することになります。
 患者さんとコミュニケーションがなければ,適切な薬物療法は不可能と思います。そのコミュニケーションは難しいことではありません。コミュニケーションがないとのことでしたので,適切な薬物療法は出来なかったのだろうと推察しています。それを「コミュニケーションを強要する医療専門職」と言われれば,よい薬物療法は不可能と思います。患者さんによい薬物療法を提供するためには,患者さんの状況や辛さをお聞きすることが必要なのです。ここはご理解下さい。
 確かに,ご指摘のような医師もいると思います。マニュアル通りの会話しかできない医療専門職もいると思います。ですが,そういう医師や医療専門職ばかりではありません。
 がんにかかってみなければ患者さんの気持ちがわからないというのも真実と思っていますが,患者さんと会話しながら,患者さんのお気持ちを推し量ることで,出来るだけ患者さんのお気持ちに沿いたいと思っている医療専門職も多いと思います。患者本人ではありませんので,全てを理解することはできないと思いますが・・・
 
 今回,ご意見を頂いて,連載コラムを止めることも考えましたし,僕の活動を変えることも考えました。しかし,数日間よく考えてみて,こんな僕でも信頼してくださっている患者さんもおりますし,苦しんでいる患者さんを支える活動は重要であることを自分なりに重要であると結論し,今後もこの活動を続けようと改めて強く思いました。
 「後がない患者」さんのように,僕の活動が全く役に立たない方もおられると思いますが,僕がお役に立てる患者さんもおられます。
 役に立てる患者さんがいる限り,上野先生達と協力しながらでも,患者さんを支える活動を続けていきたいと思います。いつか,全ての患者さんが満足する医療をうけられることを夢見ながら・・・。甘い!と言われるかも知れませんが,いま,それを行うことが,将来の日本のがん医療を良くするためには,必要と思いながら,こつこつと活動していきたいと考えています。
 
 改めて,ご意見を頂いたことに感謝します。
結論
後のない患者(埼玉県) 2008/12/08
患者が自分の理想や希望を語ると
 完璧な人間はいない
と否定される。

医療者が理想や希望を語ると
 すばらしい 
と評価される。

やはり医療は医療者が主役だということを痛感しました。
マイナスから学ぶことのない医療の世界
本当に赤ひげを求めてはいけないんですね。

popさんの厳しい指摘が一番現実的でした。
面倒な患者は転院してほしい、あるいは早く死んでほしい
まさにその通りです。
私もこれで終わりにさせていただきます。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
佐藤 由美子(愛知県) 2008/12/09
先日、NHKスペシャル「さまよえる がん患者」を見ました。
それと前後するように、後のない患者さんの書き込み。
深刻な問題だと思い、ずっと考えていました。

がん対策基本法のもとで、がん診療拠点病院の整備が進んでいますが、
治癒が望めない、長期療養の必要な患者さんは他の医療機関に移ることになっているそうですね。
ホスピスや、地域の一般病院や、在宅で往診をしてもらいながら療養する、ということになっているそうです。
でも、まだこのシステムの整備は進んでおらず、
療養先をなくして困っている患者さんが多くいることを知りました。
実際、私は地域の一般病院で働いていますが、そういう患者さんを受け入れるケースは非常にまれです。

>ただし、なぜそこまで患者が不調な体で努力をしなければならないかを、私は皆様に問いたいのです。
たまたま初めて訪れた医療機関の運不運だけで片付けられないのではないでしょうか。
これは批判ではありません。純粋に知りたい。

非常に重要な問いかけだと思います。
もちろん私も、こんなに患者さんの側に負担をかける医療体制は
間違っていると思っています。
そして、こんなことの起きないがん医療を作っていきたいと
心から思っています。
患者さんがどこに相談に行っても、道に迷うことなく、
歩いていける地図を提供出来る医療。
まさに、私たちは毎回セミナーでその理想の形を探っています。
こんな私は、「変わった人」ですかね??(笑)
Re:患者がチーム医療に参加する意義
KEN(愛媛県) 2008/12/10
この議論にレスしようと思いながら、ここ数日爆発的に忙しくてできずにいました。本当に重要な話題で、常日頃時間との戦いで仕事をせざるを得ない、地方の一乳腺外科医としては、自分の患者さんにも通じるような患者さんの生の声が聞け、本当に身につまされるものがありました。もういろいろ議論が出たあとですので何を今さらですが、日本の医療の現状において、医師が患者さんの生の声に実直に対応しようとするときには、その医師の誠実なメンタリティとか人間力とも言うべきパワーが必要なのです。人によってその力は違いますので、当然期待に沿えない状況は出てくると思います。当院の同じ乳腺科でも、医師によって全く対応が違うという現実がそれを物語ります。当然今までの本邦の医療現場では、こういう問題に対するノウハウはありません。今まで患者さんの意向というのは無視されていた領域ですから。そこを何とか皆の力でサポートできないか、という形で、チーム医療を行えれば、と思っています。信頼のおけるスタッフで、物心両面からサポート出来る体制が目標です。私は決してヒューマニティ溢れるいい医師ではないですが、当たり前のように患者さんのサポートをできるようにしていきたいと常日頃考えています。決して絵空事にはいたしません。何か議論も尽きた感があったのであえてレスしてみました。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
ナースれんたろう(愛媛県) 2009/01/02
 初めてこのホームページを拝見させていただきました。
本当の意味で患者と医師の本音や誠意を感じた内容でした。
 私は終末期の患者さんをケアしていた看護師ですが、2008年3月に胃癌(STAGE4)を発症し、現在休職中です。
 今回のテーマの中では、医療者と患者の関係が上手くいかないことが取り上げられています。私自身も非常に些細なことではありますが、少なからず悩んでいる一人です。
 私の場合は、発症時から約3ヶ月間内科の医師に見てもらっていました。難しいケースながらも原発巣の縮小とその後の姑息手術を目標に、3クールにわたってシスプラチンを投与してもらいました。主治医は診察のたびごとにその優しさと熱意を態度で表しながら、私の状態を詳しく観察したり、CTや胃カメラなどの検査を積極的に行ってくれました。私にとっては本当にありがたく、なんの悩みも不安も抱くことなく、明るい日々を過ごせました。
 その甲斐あって6月には胃幽門側亜全摘手術を受けられることとなり、外科の医師に担当変更されました。この主治医は非常にはっきりとものを言う方で、術前の説明の際に「あなたの予後は1年単位でしか考えられない。手術はあくまで姑息手術でしかない。治療はあくまで化学療法だけです。」と言われました。
 術後、引き続きその主治医の下で化学療法を続けています。正直言って術前のムンテラの内容があまりに衝撃的だったので不安になりましたが、それがきっかけで自分の病気について初めて本気で勉強し直しました。
 私の場合原発巣のほかに大動脈周囲リンパ節とウィルヒョウリンパ節転移、骨転移があります。私が調べたところによると、化学療法で根治が望める癌は少ないこと、また、骨転移症例となればなおのこと長く生きることは難しいそうです。術前に外科の主治医が「1日一日を大切にするように」と言った意味がようやくわかりました。
 8月の終わりから腰痛と脊椎の圧迫感が出始め、転移巣が再び活発になり始めたことがわかりました。鎮痛剤(NSAIDs)の処方とビスフォスフォネート製剤の投与が始まりましたが、その後は問診で症状の変化の有無を聞くだけで診察終了です。術前の内科医の診察と全く様子が違うため、ずいぶん不安な思いをしました。また、痛みが治まらないことを訴えてもオピオイドへ移行しようとしませんでした。もちろん私がはっきりと処方の変更をお願いしなかったことも悪いのでしょうが、せめてその理由くらいはこちらが説明を求めなくても話して欲しかったです。ただ、この件ではがん専門看護師が仲介役になってくれたおかげで、モルヒネ製剤を処方してもらえました。脊椎の転移巣は抗がん剤の効果があって縮小傾向ですが、痛みは現在も続いています。それでも私の意向を理解してくださり、処方を変更してくださったおかげで「安心感」を抱けるようになったことは事実です。
 現在はタキソテールを6クール実施したところです。最近は診察のだびに「麻薬の量は変更しなくて大丈夫?」と声を掛けていただけてます。看護師サイドも臨床心理士と協力しながら私の精神面をサポートしてくださっています。大変ありがたいです。あとひとつ望むならば、主治医ともう少し”フレンドリー”な関係になれたらなぁ、と思いますが、それは求めすぎでしょうか。
 一方、元看護師の視点で言うならば、やはり医師の仕事はとてもシビアなものなのだと思います。大きな病院となると何百人もの患者を担当し、その命と向き合っているのです。本当ならもっと患者とじっくり向き合いたいと思う医師がほとんどではないでしょうか?しかし、限られた時間と体力の中で一人の医師にできることにも限界はあるでしょう。また、人の苦しみを受け止めることは容易なことではありません。救えない命もたくさんあるでしょう。しかも、昨今医療問題に対する世論の風当たりは厳しく、今流行の医療関係のドラマの中では医療者の理想像みたいなものを作り上げられています。特に医療問題に対する報道機関のあおり立てようには思わず目を背けたくなります。
 また、将来的に根治が望めない症例に対してどういう治療を行うか(いわゆる緩和医療)については、かなり個別性を重視した治療方針が求められます。しかし、人が人生をどう生きていくかという問題は、いくら医者といえどもそう簡単には決められないでしょう。むしろ簡単に決めてもらっては困ります。また一方で、私たち患者も「実際にはそれほど多くの選択肢はないのだ」という事実を受け入れていかねばなりません。”医療は万能ではなく、医者もまた神ではない”のです。
 長々とつたない文章でさぞ読みにくかったことと思います。今後も医療者と患者がより人間的で良好な信頼関係を築いていけるよう切に願います。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
上野 直人(海外在住) 2009/01/02
新年明けましておめでとうございます。今年もこの掲示板をよろしくお願いいたします。

「ナースれんたろう」さんへ、
おっしゃる気持ちはよーくわかります。なかなか難しい問題です。”医療は万能ではなく、医者(医療従事者)もまた神ではない”のです。そのとおりです。それ故に、常に医療をみんなで作ることが大切です。

医療従事者は科学的な真実と患者のニーズのバランスを求め。
患者は自らのニーズと医療があたえる選択肢のなかでのバランスを求める。
結局はお互いの満足と納得を追求しているのだと思います。

一見、正しく見え、簡単に行えそうなんですけど
簡単ではありません。それは医療従事者に本当にこれらを理解している人がどれだけいてるかと言われると僕自身が自信をもって答えることができない。また、自分の同僚でもどこまでそれを理解しているかと言われると疑問視してしまいます。よっぽどひどい医療行為をしてないと医療従事者の器量なんかみえないです。

しかも、患者はなにを考えてるかを共有してくれないと医療従事者として困るし。一方患者は、言っても、しょがない、という気持ちも強いか、あるいは何を言っていいのかわからない、また自分が求めている医療が何かもわかってない人が一杯ですからね。

難しい問題です。でも一つだけいえるのはcoming outして、素直をにコミュニケーションすることを心がけすることが大切だと思います。これは医療従事者にも患者にもいえることだと思います。

PS

どこまでフレンドリーになりたいか、どんな感じの関係になりたいとおもっているのですか?
Re:患者がチーム医療に参加する意義
ナースれんたろう(愛媛県) 2009/01/02
 早速私のつたないコメントを読んでいただいたことをありがたく思います。私の考えをお伝えする前に一つはっきりさせておきたいことがあります。それは、確かに些細な問題に悩まされていましたが、現在はとても満足しているということです。私が通っている病院の緩和ケアチームの皆さんに支えられていることで安心感に包まれています。そのことをはっきりさせた上でもう少し私の気持ちを述べさせていただきます。
 私が、より”フレンドリーな”関係を医師に求めたいのは、あの「診察室」という独特の雰囲気に対する違和感が原因なのかもしれません。これは私個人の性格上の問題なのであまり深刻に受け止めないで下さい。「人見知り」する性格の私にとっては、よそ様の家に上がりこむような感覚なのです。敷居が高いんですね。だから、単純な意味で「もっと仲良くなりたい」「(友達とは言いませんが)冗談の一つも言い合えるような親近感」を持てれば、もっと互いに素直な気持ちを共有できるのかなぁと思います。もちろん理想論ですけど・・・。これが、「より人間的で良好な信頼関係…」として文を結んだ真意です。
 それと、私などは看護師の資格を持っている(つまり医療の知識がわずかながらもある)のでまだよいのですが、日本人の一般の方にとっては、パターナリズムからの脱却やインフォームドコンセントの導入がいまひとつなじめないものではないでしょうか。ずっと以前は医師が「この病気に対する最善の治療法はこれです」と言って、患者は「先生にお任せします」と言っていたそうですね。確かに多くの弊害もあったでしょう。しかし、日本人はいまだに”決断する”ことが不得手な人種ではないでしょうか。私などが典型的な例ですが、こうして文章を書いていても結論をはっきり示せず、あーだこーだとだらだら述べるのみなのですから。
 そして、それに起因して問題を生んでいるのがインフォームドコンセントのことです。これが日本に導入されてから、医師は患者に対して十分な説明義務を負わされています。これはとても重要なことであり、否定するものではありません。しかし、その結果、(報道機関が過度にあおり立てていることが原因の一つですが)『治療方針はいくらでもあり、そのどれかを患者が選びさえすれば思い通りの道が開け、患者のニーズが満たされる』という誤解を生んでいるようにさえ思うのです。日本において医療訴訟が爆発的に増えつつあるのは、その影響ではないでしょうか。医師にも患者にも「権利」だけでなく「義務」もあるのです。「こういう治療をして欲しい」という意思を示したのであれば、患者自身も学びを深めていきたいものです。学ぶ方法はいくらでもあります。インターネットの活用・患者会や講習会への参加・・・。後になって「えー、こうなるとは知りませんでした」と言わなくて済むようにしたいものです。患者は”自分の”病気と闘っているのですからね。
 逆に、医師に対しては、もっと患者に説明をして欲しい。難しい医学的な知識を噛み砕いた内容で、いかに素人の我々に対してわかりやすく示していくか。この必要性をもっと真摯に受け止めて自己研鑽するべきです。
 「患者中心の医療」という表現をよく耳にしますが、素人である我々患者の言うがままでは医療は成立しません。当然ですよね。医療の実現には高度な専門知識が不可欠だからです。医療のイニシアチブはやはり医師が取っていかねばならないのです。それほど医師の責任は重いのです。患者の命もそれと同様に重いのですから。このことを医療者・患者双方がもっと理解しなければなりません。今の日本に根付きつつある間違った概念から一日も早く脱却していきたいものです。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
たかぎまりこ(海外在住) 2009/01/02
ナースれんたろうさん、あけましておめでとうございます。
この場に今までのご経験とお気持ちを書いてくださり、ありがとうございます。患者さんとしてのご意見、看護師の視点からの考察、とても考えさせられますし共感できます。

私も元看護師ですが今は諸事情で海外に住んでいます。私の経験談ですが、先日ある不調で初めて海外で病院にかかる事になりました。言葉の問題やシステムの違いから、まるで今まで一度も医者にかかった事がないくらい緊張していました。診察室は日本と変わらない殺伐とした感じでしたが、診察に訪れた医師の第一声が「ハッピーニューイヤー」。診察を始める前に軽く冗談を交えて自己紹介をしあいました。握手もしました。若い医師で、医師の方も初対面で少し緊張をしている様子もうかがえましたが笑顔で、そしてとてもやさしい声のトーンで診察をしてくださりました。大きな問題はないとの診察結果で安心して帰宅できました。ほんの数分の診察でした。
診察室って無機質で嫌なものですよね、でもそこに登場する医療者の雰囲気でガラッと変わりますね。日本人は欧米人のようには感情表現はできませんが、この演出(言葉は悪いかもしれませんが)で緊張から安心へ気持ちが変わるのを身をもって体験しました。
医療は人と人との仕事なので、「人間的で良好な信頼関係」を築いていけるように働くのもプロフェッショナルとして当然のことかな、と私も思います。患者さんが多くて忙しいとできない事なのでしょうかね?

新年なので余談をひとつ。ある日本の病理学の第一人者の医師から頂いた座右の銘が「親切であれ、謙虚であれ」でした。医師も医療者も患者としても、人と人との関係の中で、謙虚に学んでいかないといけないですね。日々勉強です。


Re:患者がチーム医療に参加する意義
井沢 (京都府) 2009/01/02
ナースれんたろうさん

貴重なご意見を拝読させていただきました。
どうもありがとうございます。
医療者とのコミュニケーション、インフォームドコンセントの在り方、、患者さんにとってはどれも自分の命にかかわる重大な内容であるからこそ、真剣勝負なのですよね。
私は看護師ですが、日々現場に関わりながら、患者さんやご家族が大変な思いで治療を受けられていることを痛感します。れんらろうさんの文章を読みながらも、そうだろうなあ、、と思いながら読ませていただきました。

治療方針という大きなテーマだけにすぐには意思決定できないことは当然だろうなと思います。

だからこそ、患者さん自身も勉強して自分の治療に参加していただくことは大事だけど、やはり患者さんが力をつけて知識をつけていけるよう支援するのは医療者だと思います。
患者会とか、患者さん用の情報紙など、もっと患者さんたちが活用できるような工夫を医療者がアシストすることも大事なのだろうと思います。
医師だけでなく他の医療従事者も、治療について、副作用について、薬剤について患者さんに説明する時は分かりやすい言葉を選んで説明できるスキルも必要だなあと思います。

この書き込みは毎回勉強させていただいています。
貴重なご意見をどうもありがとうございます。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
yoko(東京都) 2009/01/04
術後5年目になりました。掲示板を拝見し、「後がない」さんの書き込みに対してこちらのみなさんの書き込みに、今更ですが私が思ったことを書き込ませていただきます。

私は現在「納得した治療」を受けているので、私が「後のない」さんようになった時の心情は実際には想像がつきません。

しかし、読ませていただいての第一印象は「もし私だったら主治医を変える」と思います。現在の医療現場で、現実的に、ターミナルの患者を新たに別の病院が実際に受け入れてくれてくれるのかどうか、わかりませんが、現在の主治医には、「この場に及んでもセカンドオピニオンを別の病院に聞きに行きたい」と言ってデータをいただけるように試みたいと思うだろうと思います。患者が医療者や医療機関の選択肢が持てるという医療環境は、都市部でしかありえないことなのでしょうか。私の知り合いは脳腫瘍で、最初の病院の主治医の治療法に「納得がいかず」、罹患から3年後でしたが実際に病院を変え、現在は「納得の治療」を受けています。

「後のない」さんは、お辛い病状にあったにもかかわらず事前にガイドラインを確認して準備をし、主治医に自分の希望や治療法の変更を伝えたとおっしゃっています。このエネルギーはどこから出てくるのか、それは辛い現状を変えたい、主治医に伝えたいというものすごい情熱だとお察しします。それが主治医に聞き入れられなくて、主治医の言われるがままの治療を続け、実際には患者が苦しんでいて我慢するだけというのは、間違っている気がします。

私自身、再発、ターミナルという状態になった場合、抗がん剤治療を受ける選択はしないと思います(少なくとも現在はそう思っています)。「後がない」さんが「抗がん剤で死ぬのでは」とおっしゃっている通り、製薬会社が商業主義で(すみません)抗がん剤の開発にしのぎを削り、たとえその抗がん剤を使った化学療法が標準治療だとしても、その治療がどれだけ患者本位か、それが全てではないと思っています。患者それぞれの生活や「生き方」、要望に合わせた「おあつらえ」の治療法を医療者の先生方には人生の海図を引くナビゲーターとして考えていただきたいです。死期が近ければなおさらです。でも実際には「おあつらえ医療」は医療現場に「ゆとり」がなければ実現しないような気がしないでもないのですが。。。

「後がない」さんの主治医は、大変失礼ながら「標準治療」を教科書通りに適用しているのか、状況はわかりませんが、何事も教科書通りはありえませんし、ベストとも限りません。

私事で恐縮ですが、長期にわたって入院していた母を11月に見送ったばかりですが、母の最期を見ていて、「生き方」「死に方」について考えさせられました。母は最期まで頭ははっきりしていました。自分が回復しないこと、衰弱していく自分の身体のこと、全てわかっていたと思います。親戚や友人のお見舞が重なった日があったのですが、自分の最期が近いと思ったのか、「家に帰る」と言い出しました。しかし、実際には「帰れない」と頭がしっかりしているがゆえに理解して実際には、退院も一時帰宅もしませんでした。

衰弱が進み、経口摂取もなくなり、人工呼吸器を装着するために喉を切開して声を失い、動けなくなり、ただただ心臓が止まるのを待っている状態が長く続きました。会話もできなくなった母は「死」とどう向き合っていたのか、気持ちのやり場がない、そのやり場のない気持ちをどう対処していたのか、また、このような状況で本人は何を望んでいるのか、何をしてやれるのか、また、「死に方」についても、これでよかったのか、思い残すことや言い残したいことはなかったのか、家族は推し量るすべもなく、どうすることもできませんでした。母の主治医に最後は「とにかく苦痛のないように安らかに逝かせてやって欲しい」とお願いしました。

私が海外滞在中も主治医と連絡を取り合うことができるように病院側でも例外的な対応をしてくれて、主治医や理学療法士の方とコミュニケーションをとることができました。しかし、たくさんのパイプに繋がれたまま寝たきりで、ただただ最期の時を待っている母を見ながら、また、周りの「寝たきり」の患者さんを見て思いました、「これが現在の医療の現実なんだな」「患者が死に方も選ぶべきである、選ぶ権利、尊厳があるはず」と。病棟で、周りの患者さんの家族ともこのような話題の会話をしました。

私自身罹患して以来、自分の「死に方」を考えていたつもりでした。でも、この度、母の最期を看取り、さらに自分がどのように最期を迎えたいと思うか、現実的に具体的に考えるようになりました。また、言い換えれば「死に方」を考えるということは、死期までのプロセスですから「生き方」を考えることだと思います。「自分がどのように生きたいのか」も改めて考えました。

「後がない」さんは「死期が訪れる」という現実にしっかり向き合って「死に方」を考えていらっしゃる印象を受けました。その「死に方」の希望、要望を主治医に受け入れてもらえないという欲求不満と、やり場のない気持ち、また病状が「痛み」「辛い」という苦痛を抱えてひたすら今の主治医で我慢するのは、やっぱり違うと思うので、他の医療機関を探していらっしゃるとおっしゃるので、少し胸をなでおろしました。ご自分で動かれるのは、これまた大変だと思います。医療者、医療機関を上手く探す方法があれば、また方法を教えてあげられる方がいればよいのですが。。。

更に、医療者と患者も「相性」があると思います。医療は「サービス産業」ですが、カフェやレストランで食事を提供してもらうためにある程度のサービス・スタンダードをクリアしていれば誰でもいいのとは訳が違います。主治医と患者も人間同士ですので、しかも「がん」という深刻な問題を抱えた患者とのぶつかり合いです。風邪を引いた時とも違い、医療者と密なコミュニケーションをとらないと「医者任せ」「名医にかかれば、あとはお任せ」「先生、何とかしてください」では済まない気がします。たとえ名医が10人いたとしても十人十色だと思いますし、「完治・根治しました」と医療者に太鼓判を押してもらえるより「がんと共に生きる」ことを強いられる場合がほとんだと思いうからです。そのためにはインフォームドコンセントは必須です。

私が罹患時に受診した3つの病院とその外来医のことを今思うと、患者は、たとえセカンドオピニオン、サードオピニオンを聞いたとしても、それぞれの病院で医師の診察・診断と第一印象で病院を決めることになります、面接試験の面接官のようです。患者会に行くと、お一人の先生の患者が複数に居ると、文句を言っている患者も居ます。医療者の先生方は患者を選択することはできませんが、患者は医療者・医療機関を選ぶことができます。自分の主治医が気に入らなくて信頼できなければストレスになりますし、病気など良くなるとは思えません。医療者のキャラクターも様々、「医者になるべくして生まれてこられた」ような博愛的で献身的な方もいらっしゃれば、「business-like」、中には言葉悪いですが「ふんぞり返っている」古いタイプの方もいらっしゃるかもしれません。会話が上手く進むかどうかは、10人患者が居て10人医療者がいれば、全員相性よくうまく行くとは限りません。

また、医療者の器量のお話が出ていましたが、「名医」と「良医」も異なると思います。最近、自分が自然とそうなっていることに気づいたのですが、自分にとって何がcomfortableで居心地がいいのか、物事を決める場合の私の尺度というか考え方になっています。ある研究者の方からいただいた言葉ですが、「もう我慢しなくていいんです、がんになったのですから」。がんになって、色々な医療者の方との出会いがあり、病気をしなければ出会わなかった人たちですが、「赤ひげ先生」は、幸い私の周りにはたくさんいらっしゃいます。

自分の事を思い起こして思うのですが、理想は早い時点での「患者教育」が必要だと思います。医療者と上手くコミュニケーションを取るためには、知識がないと、何をどう伝えて何を尋ねればいいのかわからないのです。早い時点である程度、先ず自分の病気のこと、病状のことを知って、自分なりに頭と気持ちの整理がつけられないとコミュニケーションは取れません。意思も伝えられません。また、主治医の話や療法を受け入れるかどうかの判断もつきません。それで、多くの患者が「主治医にまかせっきり」「まな板の鯉」にならざるを得ないというのがまだまだ現状ではないでしょうか。

私のスウェーデン人恩師が昨年7月に罹患し、一緒に話をしている際に「情報収集はgooglingではだめだ」と言っておりました。上記と重複しますが、「教科書通り」にはいかないので、googlingではなく、別の方法での「患者教育」ができるサービスが医療機関の医療体制に組み込まれることができればよいのではと思います。

「後のない」さんが書き込んでくださったことで、これだけの人数の方が問題を考えたという事実に、少し感動しています。医療は、「患者のために」と高い理想のビジョンを持った医療者の方々と共に、まず患者が本音で声を上げなければいけないと思いました。一緒に青写真を引き、机上から現場へ移行させられれば「理想の医療」が現実に近づくのではないかと思いました。「後のない」さんのエネルギーと勇気に感謝しています。

長々とすみません。
Re:患者がチーム医療に参加する意義
たかはし(栃木県) 2009/01/14
(後がない..) さんが投じた一石が大きな反響を生み多くの方々の真摯な意見を拝読させて頂いた事に感謝致します。
(後がない)さんのエネルギーは一体どこから出て来るのかと驚きもしました、(後がない)さんの(後がない)と云う思いは本当にご自分にはもう時間が残されて居ないと云う現実的なものからの表現かと思いますが、後がないと云う思いで闘病されている方は沢山居られるのではないかとも思います。
私も後がない生き方をしております、条件付きで生きていると言った方が良いのかも知れません、ガンの治療は途中で中断しました、肺の繊維化の治療を優先せざるを得なかったからです
そのためにガンは大きくなろうが何処に転移しようが勝手気ままになりました、もし転移しても抗ガン剤を使用する事は出来ないと云う事てです、痛みを取るために放射線の照射しか手段は残されていません。
肺は少しずつ繊維化を増殖し現在は両肺の50%が機能を失っています、私はそれこそ(後がないなー)と思っています。
常に転移と拡大の恐怖と風邪を引いて肺炎を起こさない事を願いながら毎日を生きています。
闘病をしながら、医師とのコミュケーション、家族や友人との
コミニュケーションをいかによりよい方向でとり続けるかが一つの課題でした、今回のテーマがこのような熱を帯びたのも皆さんがいかにコミニュケーションと云う事に心を砕いて居られるかが伝わってまいりました。
入院当初から主治医からは貴方も治療チームの一員として治療に専念してくださいと云われた時には少し戸惑いもありましたがその言葉の意味が理解出来るようになったのは抗ガン剤の副作用に苦しむようになってからでした、看護師さんも先生方も私の立場になって考えて呉れているんだと云う事を知ったからです。
その時から私も何かを発言するときに先生や看護師さんの立場に思いを馳せてからものを言うようにしました、これが私にとっては現在まで続いている関係者との良好な人間関係の維持につながっているのだと確信しています。
気持ちを優先させてしまうと感情も高まり冷静な話し合いが出来なくなり不満が残ります。
今回の一連の発言のなかで(瀬戸山先生が一時活動を中断しようと考えた...)と言う一文を拝読してとても悲しく思えた事です先生にはこのまま活動を続けられると言われておりますので
安堵は致しましたが、これほど人の発言が様々な人に大きな影響があることを深く思い知らされた次第です。
私は改めて人にはそれぞれの立場がありその相手の立場に思いを馳せてから言葉を発する事の重要さを改めて認識した次第です。
テーマから離れて済みません、最後に..患者は積極的に医療チームに参加する事をお薦めします最良の治療を受けるためにも必要です。
特に時間があまりないと思われている方には将来をシュミレーションするためにも必要だと考えます。

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