掲示板「チームオンコロジー」
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患者と医療者のコミュニケーション
終末期医療に関する全国病院アンケート調査
上田 宏(兵庫県)
2007/02/27
2月26日の読売新聞に、終末期医療に関する全国病院アンケート調査(1499病院)が掲載されていました。
終末期の治療方針を決める際、患者より先に家族の意向を確認する 46.6%
意思表示できる患者における終末期の治療方針決定に際し
「患者のみに確認」が0.8%
「患者とは別に必ず家族の意向も確認」が48.7%
(記事にはありませんでしたが、残りの50%程度は恐らく「家族だけ」または「確認していない」のかもしれません。)
家族の意向を重視する理由として
「本人だけに説明すると、家族の不満がでる可能性がある」70.6%、
「本人に説明しないことを家族に懇願された」64.8%
さらに、がん告知率65.9%、余命告知はその半分以下とのことでした。(いまだに34.1%の病院で、がんの告知がなされていない。)
これは医療者側の意識調査ですが、終末期における患者さんの意思を、半分以上の医療現場が直接は確認していないのが現状のようです。
これは日本の患者さんの意識を正しく反映しているものなんでしょうか?個人的には、患者さんから終末期医療に対する具体的な意思を確認できないことが、医療者を認識不足に陥らせている気がします。
終末期の治療方針を決める際、患者より先に家族の意向を確認する 46.6%
意思表示できる患者における終末期の治療方針決定に際し
「患者のみに確認」が0.8%
「患者とは別に必ず家族の意向も確認」が48.7%
(記事にはありませんでしたが、残りの50%程度は恐らく「家族だけ」または「確認していない」のかもしれません。)
家族の意向を重視する理由として
「本人だけに説明すると、家族の不満がでる可能性がある」70.6%、
「本人に説明しないことを家族に懇願された」64.8%
さらに、がん告知率65.9%、余命告知はその半分以下とのことでした。(いまだに34.1%の病院で、がんの告知がなされていない。)
これは医療者側の意識調査ですが、終末期における患者さんの意思を、半分以上の医療現場が直接は確認していないのが現状のようです。
これは日本の患者さんの意識を正しく反映しているものなんでしょうか?個人的には、患者さんから終末期医療に対する具体的な意思を確認できないことが、医療者を認識不足に陥らせている気がします。
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Re:終末期医療に関する全国病院アンケート調査
上野直人(海外在住)
2007/03/02
家族を大切にする気持ちは理解できます。でも医療は誰のためでしょうか。家族ではなくまずは患者だと思います。もし医療従事者ががん患者になったら、医療従事者から何も隠さないで話して欲しいと答える人が多いと思います。そう思うなら、患者に時間をかけて真実を丁寧に話しをするべきだと思います。真実を言うことは決して希望をつみ取ることではないと思います。ただ真実をどのようにコミュニケーションをするかが大切ですね。言い方によれば、見放した言い方になりますからね。
Re:終末期医療に関する全国病院アンケート調査
松村 智子(神奈川県)
2007/06/27
治療は患者本人のため。それは確かです。
だからこそ、がん告知・余命告知・終末期における患者の意志確認といった問題は、ケースバイケースになると思います。どんなケースにおいても大切なのは患者と家族・患者と医療者・家族と医療者間それぞれの密接なコミュニケーションであり、この3者間の連携が、患者にとってよりよい治療に結びつくのではないかと思います。
特に患者と家族間のコミュニケーションに関しては、病気が発覚する以前の健康なうちから密接な関係を作り、互いを良く理解しておくことが必要だと思います。私は患者の家族の立場ですが、患者である父の場合に限って言えば、余命告知はしない方が良い、と家族で判断し、現在入院先の先生もそれに同意していて父に出来るケア(放射線・薬剤による痛みの緩和)をして下さっています。
一番望ましいのは患者も家族も全て理解し、医療者と連携して病気に立ち向かっていくことだと思いますが、それが出来ない状況ならば、患者本人の次に患者の考え・性格などについて理解しているであろう家族が「患者本人にとって一番良い選択肢はなんだろう?」ということを考えて医療者と連携して選択をするということになるかと思います。そうして選ぶ方向性はそれこそ十人十色でしょうが、患者本人のためを思って考えるのである限り、間違った選択というのはないと思います。
私の父は今年の五月連休直後に腰の激痛の為救急車で病院に運ばれ、その3日後には家族が呼ばれて主治医より、検査の結果、末期肺がんであり、いわゆる終末期医療の時期にある、と言われました。その直後に先生と共に父の病室に行き、肺がんであること・手術が出来る状態ではないので、今後は放射線と化学療法の組み合わせた治療をしていくことになるでしょう、という話をしてもらいました。
ただし、末期である、余命は1年に満たないくらいだろう、といった部分は父には伝えていません。この病院には放射線設備がなく、5月末に大学病院に転院しましたが、今現在もStageや余命については伝えていません。それは、母と私と私の主人で相談した結果の決断です。
連休明けに救急入院した病院の主治医は「余命告知もして、残された限りある時間をどう過ごすか、本人に選択させた方がいい。積極的な治療をせず、このままホスピスに行くという選択肢もある」という風におっしゃいましたが、母と私は納得できませんでした。
それは「積極的な治療を何もしないで緩和ケアだけをする」ことに対して家族として納得できなかっただけではなく、「父の性格を考えると、積極的治療にトライもしないではじめから緩和ケアという選択はおそらくしないだろう」「以前<何か重大な病気にかかったら全て教えて欲しい>と言ってはいたが、父の性格を考えると、完治する病気ならばともかく、良くても寿命の延長、そうでなければ痛み緩和のみしかできず、その間にもどんどん悪化していく末期がんであるということを告知したら、父は、覚悟を決める、というより落ち込んでしまうだろう。それでは却ってマイナスだ」と私たちは考えたからです。
でも、父の状態が違っていたら、私たちの結論は変わっていたかもしれません。末期肺がんでも、仮に日常生活に支障がない(ベッドに横になったままではなく、外出が出来るなど)ならば、余命についても告知して、限られた時間をどう過ごすかを本人に選択してもらったのではないかと思います。
父の場合、原発は肺がんですが骨転移が多く、腰の激痛はそれが原因でしたので足の自由がどんどん利かなくなり現在は両足とも麻痺しています。こんな状態で仮に余命告知までしてしまったらどうなったでしょうか?
どんな言い方をするにせよ、年を越すのも難しい、出来る治療は痛みの緩和のみ、等の情報を伝えられたら、ベッドでただひたすら死を恐れるのみです。精神的なショックから立ち直るにはある程度時間がかかると思いますし、父はいつ急変するかわからない状態なので精神的に落ち込んだまま死を迎えることになるかもしれません。そうした状況は父のためにも避けたいと思いました。父は現在も大学病院入院中で、骨転移部分へ痛み緩和の為の放射線治療を受けつつ鎮痛剤を処方されています。
長々と患者の家族としての経験を書いてしまいました。。
私が言いたかったのは、「終末期の治療方針決定の際、きちんと患者に説明して、患者の意志が取り入れられるべきなのではないか」というこのテーマについての掲示板のコメントの流れに対して、「それが一番理想的だが、場合によってはそれが出来ない場合・しないほうがいい場合もあるのではないか」ということです。医療者は必要に応じて情報を開示や選択肢の相談に応じるべきである・基本的には患者本人に治療方法を選択する権利がある・という点では勿論異論はありません。
だからこそ、がん告知・余命告知・終末期における患者の意志確認といった問題は、ケースバイケースになると思います。どんなケースにおいても大切なのは患者と家族・患者と医療者・家族と医療者間それぞれの密接なコミュニケーションであり、この3者間の連携が、患者にとってよりよい治療に結びつくのではないかと思います。
特に患者と家族間のコミュニケーションに関しては、病気が発覚する以前の健康なうちから密接な関係を作り、互いを良く理解しておくことが必要だと思います。私は患者の家族の立場ですが、患者である父の場合に限って言えば、余命告知はしない方が良い、と家族で判断し、現在入院先の先生もそれに同意していて父に出来るケア(放射線・薬剤による痛みの緩和)をして下さっています。
一番望ましいのは患者も家族も全て理解し、医療者と連携して病気に立ち向かっていくことだと思いますが、それが出来ない状況ならば、患者本人の次に患者の考え・性格などについて理解しているであろう家族が「患者本人にとって一番良い選択肢はなんだろう?」ということを考えて医療者と連携して選択をするということになるかと思います。そうして選ぶ方向性はそれこそ十人十色でしょうが、患者本人のためを思って考えるのである限り、間違った選択というのはないと思います。
私の父は今年の五月連休直後に腰の激痛の為救急車で病院に運ばれ、その3日後には家族が呼ばれて主治医より、検査の結果、末期肺がんであり、いわゆる終末期医療の時期にある、と言われました。その直後に先生と共に父の病室に行き、肺がんであること・手術が出来る状態ではないので、今後は放射線と化学療法の組み合わせた治療をしていくことになるでしょう、という話をしてもらいました。
ただし、末期である、余命は1年に満たないくらいだろう、といった部分は父には伝えていません。この病院には放射線設備がなく、5月末に大学病院に転院しましたが、今現在もStageや余命については伝えていません。それは、母と私と私の主人で相談した結果の決断です。
連休明けに救急入院した病院の主治医は「余命告知もして、残された限りある時間をどう過ごすか、本人に選択させた方がいい。積極的な治療をせず、このままホスピスに行くという選択肢もある」という風におっしゃいましたが、母と私は納得できませんでした。
それは「積極的な治療を何もしないで緩和ケアだけをする」ことに対して家族として納得できなかっただけではなく、「父の性格を考えると、積極的治療にトライもしないではじめから緩和ケアという選択はおそらくしないだろう」「以前<何か重大な病気にかかったら全て教えて欲しい>と言ってはいたが、父の性格を考えると、完治する病気ならばともかく、良くても寿命の延長、そうでなければ痛み緩和のみしかできず、その間にもどんどん悪化していく末期がんであるということを告知したら、父は、覚悟を決める、というより落ち込んでしまうだろう。それでは却ってマイナスだ」と私たちは考えたからです。
でも、父の状態が違っていたら、私たちの結論は変わっていたかもしれません。末期肺がんでも、仮に日常生活に支障がない(ベッドに横になったままではなく、外出が出来るなど)ならば、余命についても告知して、限られた時間をどう過ごすかを本人に選択してもらったのではないかと思います。
父の場合、原発は肺がんですが骨転移が多く、腰の激痛はそれが原因でしたので足の自由がどんどん利かなくなり現在は両足とも麻痺しています。こんな状態で仮に余命告知までしてしまったらどうなったでしょうか?
どんな言い方をするにせよ、年を越すのも難しい、出来る治療は痛みの緩和のみ、等の情報を伝えられたら、ベッドでただひたすら死を恐れるのみです。精神的なショックから立ち直るにはある程度時間がかかると思いますし、父はいつ急変するかわからない状態なので精神的に落ち込んだまま死を迎えることになるかもしれません。そうした状況は父のためにも避けたいと思いました。父は現在も大学病院入院中で、骨転移部分へ痛み緩和の為の放射線治療を受けつつ鎮痛剤を処方されています。
長々と患者の家族としての経験を書いてしまいました。。
私が言いたかったのは、「終末期の治療方針決定の際、きちんと患者に説明して、患者の意志が取り入れられるべきなのではないか」というこのテーマについての掲示板のコメントの流れに対して、「それが一番理想的だが、場合によってはそれが出来ない場合・しないほうがいい場合もあるのではないか」ということです。医療者は必要に応じて情報を開示や選択肢の相談に応じるべきである・基本的には患者本人に治療方法を選択する権利がある・という点では勿論異論はありません。
Re:終末期医療に関する全国病院アンケート調査
上田 宏(兵庫県)
2007/06/28
ありがとうございます。
松村さんのおっしゃられるとおり、人生の大半を患者さんと共に過ごされてきたご家族の思いは、医療者として大切にするべきと思っています。
これまでご家族の希望により未告知のまま最後を迎えられた患者さんを少なからず見送ってきました。そして、患者さんの早く良くなりたいという希望とは裏腹に、憎悪していく過程の中で、徐々にご自身の予後を自覚されていかれる。
積極的な治療を選ぶか、家族と共に過ごす時間を選ぶか。私自身ならば、今の医学の限界を正しく理解して、自分と家族で相談して決めたい。
死という現実を受け止められない患者さんがいることも理解できますが、それを受け止める支えをすることがご家族の愛、そして医療者の役割ではないか?でも、そんな重荷をご家族の方に負わせることは、医療者に許される行為なのか?
そんなことをいつも自問自答して、でも答えが見つからないのです。
多くの医療者が、日々の業務が忙しいので、自分の感情は無視して、家族が反対したら本人には伝えないという暗黙のルールに従っている気がします。
アメリカのように「自分の病気を知る=患者本人の権利」として割り切れない日本の文化なのかもしれません。
松村さんのおっしゃられるとおり、人生の大半を患者さんと共に過ごされてきたご家族の思いは、医療者として大切にするべきと思っています。
これまでご家族の希望により未告知のまま最後を迎えられた患者さんを少なからず見送ってきました。そして、患者さんの早く良くなりたいという希望とは裏腹に、憎悪していく過程の中で、徐々にご自身の予後を自覚されていかれる。
積極的な治療を選ぶか、家族と共に過ごす時間を選ぶか。私自身ならば、今の医学の限界を正しく理解して、自分と家族で相談して決めたい。
死という現実を受け止められない患者さんがいることも理解できますが、それを受け止める支えをすることがご家族の愛、そして医療者の役割ではないか?でも、そんな重荷をご家族の方に負わせることは、医療者に許される行為なのか?
そんなことをいつも自問自答して、でも答えが見つからないのです。
多くの医療者が、日々の業務が忙しいので、自分の感情は無視して、家族が反対したら本人には伝えないという暗黙のルールに従っている気がします。
アメリカのように「自分の病気を知る=患者本人の権利」として割り切れない日本の文化なのかもしれません。
Re:終末期医療に関する全国病院アンケート調査
上野直人(海外在住)
2007/07/01
終末期医療を考えるときに忘れてはいけないのは、、終末期に医療に至る以前の健康に対すると取り組み方です。どのような医療を受けたいか、どういう死にたいか、これを考える機会があまりにも少ないのかもしれません。皆さんはどんな死を迎えたいですか。もちろん安らかな死を迎えたいですのですが、もし厳しい病気を患っていたら、どうしたいですか?
Re:終末期医療に関する全国病院アンケート調査
うみっち(愛知県)
2007/07/01
まさに、常に気にかかっている問題です。
私は医療従事者であり、
自分の病気のことを知らずにいることは不可能です。
ですので、病気になって、
余命いくばくもない状態になったとしても、
自分でカルテを見て、自分で治療法を選択し、
どう余生を過ごすかも自分で決めたいと考えています。
でも、そうでない一般の患者さんは、感覚が違うのでしょうか?
選べるほど医療の知識がない、と言われるかもしれませんが、
知識や可能な限りの治療法は私たちが惜しまず提供したとしても、
それはやっぱり難しいハードルなのでしょうか。
ちなみに、私の夫は医療従事者ではありませんが、
「自分の病気のことは全部知りたい」と常々言っていますので、
そのようにしたいと考えています。
私は医療従事者であり、
自分の病気のことを知らずにいることは不可能です。
ですので、病気になって、
余命いくばくもない状態になったとしても、
自分でカルテを見て、自分で治療法を選択し、
どう余生を過ごすかも自分で決めたいと考えています。
でも、そうでない一般の患者さんは、感覚が違うのでしょうか?
選べるほど医療の知識がない、と言われるかもしれませんが、
知識や可能な限りの治療法は私たちが惜しまず提供したとしても、
それはやっぱり難しいハードルなのでしょうか。
ちなみに、私の夫は医療従事者ではありませんが、
「自分の病気のことは全部知りたい」と常々言っていますので、
そのようにしたいと考えています。
Re:死をどう考えるか
上野直人(海外在住)
2007/07/02
大切なのは医療従事者で無い人がどのように死を迎えたいか。あるいは病気になる前に、どのように病気に取り組みたいですかだと思います。病気になったり、死を目前にすると、自分の考えだけでなく、家族友人の考えが強く出てきます。みんな本人のことを思ってのことでしょうが。家族と友人は自分が患者ならどうしてほしいあるいは、患者ならばどのように考えるだろうと考慮することがとても大切ですね。
Re:終末期医療に関する全国病院アンケート調査
kei(千葉県)
2007/07/02
残り人生を考えるためには、自分の病状を知ることが大切だと思います。余命期間は不確定なら聞きたくありません。死を考えるためには生きる目的や死とはどうゆうものかを知ることが肝要だと思いますから、霊的な考えを深める時間を大切にしたいです。
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