コラム/エッセイ
チームBの役割
Role for Team B
Vol.05
Narrative Medicine Workshopに参加して考えたこと(1)
Program in Narrative Medicine, College of Physicians and Surgeons, Columbia University 主催の 'Narrative Medicine Workshop' (6/3~5, 2011) に参加するため、ニューヨークに来ている。
米国では、「病の語り」の研究は20年以上の歴史がある。
この動きの発端になったのが、
Arthur Kleinman, The Illness Narratives: Suffering, Healing, And The Human Condition (Basic Books, 1989).
である。
精神科医であり医療人類学者であるクラインマンは、病は、身体の問題であるだけでなく、個人の様々な領域に関わる問題であると同時に社会的な問題でもある、と主張した。医療者の目を、「病気」から「患者」へと転換させるきっかけを作った文献である。最近、ポストモダニストからは、この本は医療者が医療者に向けて書いたものであり、未だ患者を対象として見ていると、批判を受けている。しかし、その先駆性は評価されるべきである。日本語訳があるはずなので参考にしてほしい。
次いで
Arthur W. Frank, The Wounded Storyteller: Body, Illness, and Ethics (University of Chicago Press, 1997).
が大きな影響をもった文献である。著者のフランクは社会学者。人間の意識が身体との間に形作る様々なダイナミズムを研究している。フランク自身もがんの経験者である。
彼は病の語りのジャンルわけをしている。
- 回復の語り restitution narrative:(私はいかに回復したか)
- 混沌の語り chaos narrative:(混乱中)
- 探求の語り quest narrative:(病の経験をとおして学んだこと)
この中で、私は「混沌の語り」の重要性に注目している。患者本人にとって辛い時期であるが、そこにはいろいろな可能性が含まれている。スピリチュアルケア等の Care Component B の役割が期待される所だろう。
Ann Hunsaker Hawkins, Reconstructing Illness: Studies in Pathography. 2nd. ed. (Purdue University Press, 1999).
は、上記二つとは違った「病の語り」研究である。
著者ホウキンスは、もともとは文学理論の研究者で、現在は Professor of Humanities at Pennsylvania State University College of Medicine。(このように米国では、コロンビア大学・テキサス大学を始め、医学部内の講座もしくは独立した学科として、医療人文学が学問としてしっかりと認知されている。)
彼女は、350以上の「病誌 pathography 」の分析をし、(これに対し、クラインマンやフランクの研究は、患者自身や近親者によって実際に書かれた「病の語り」の網羅的分析はしていない。)この分析をとおして、「病誌」の背後にある、文化的な要素つまり病気に関する神話的枠組み、基本態度、前提を分類した。
- 生まれ変わりのテーマ regeneration
- 戦いのテーマ the idea of illness as battle
- 競技・チャレンジのテーマ the athletic ideal
- 未知の世界への旅のテーマ the journey into a distant country
- 代替医療の不思議な力のテーマ the mythos of healthy-mindedness.
などが抽出されている。
今日から始まるコロンビア大学でのワークショップは、これらの流れを前提に、参加者をどのような方向に導いてくれるのか楽しみである。
ワークショップの定員は40名。参加者の事前の自己紹介を見ると、医師、看護師、薬剤師、ソーシャルワーカー、心理士、文学理論研究家、著述家などがいる。チャプレン(スピリチュアルケア職)は私以外には見当たらない。
講義の部分と、5つの小グループに分けられてのワークショップからなる、3日間の集中プログラムである。(J-TOPのフォーマットと類似!)
私の参加の目的は、このような研修が日本にも必要なのかを見極めることと、また、必要な時には、私自身が日本へのプログラム導入の橋渡しが出来るように、学びを深めると同時に人間関係を築くことである。
(2011年6月3日執筆)
第1日目
指導に当たるのは、コロンビア大学のファカルティー5人 (所属はMedical School と English Department)。プログラムの中心 Rita Charon は、Professor of Clinical Medicine and Director of the Program in Narrative Medicine at College of Physicians and Surgions of Colombia University。話をしていたところ、彼女の主著 Narrative Medicine: Honoring the Stories of Illness, (Oxford University Press 2006) の日本語訳が間もなく出版されるとのこと。「今朝、前書きの原稿をメールで送ったばかり」と言っていた。日本にもちゃんと関心をもっている人はいるのだと、少し安心。翻訳者と、帰国後に協力して出来ることがあるかもしれないと思った。しかし、今回で10回目になるこのワークショップに日本人が参加するのは、どうも初めてらしい。
参加者は全部で41人。大多数は米国各地から集まっている。その他は、カナダから6人、英国から2人、オランダ・香港・日本から各1人という広がり。印象からすると、5分の3程が大学教授の肩書きを持つ医師。Mayo Clinic やテキサス大学からの参加者もいる。患者のアドヴォカシーや医療倫理を専門とする人もいる。自己紹介を聴くと、医療者と患者の関係を改善するために Narrative Medicine を学びにきているのだが、個人の技量を伸ばすためというよりは、所属する大学に Medical Humanities の教育プログラムを作るために体験をしにきている人が多い。香港から来ている医師も、香港大学医学部の必修科目として医療人文学を立ち上げるために学びにきているとのこと。
このワークショップの特徴は、患者の語りをどう聴くか、というテーマを深めるために、まずは参加者自身が自分の思いを書く/語る訓練が沢山含まれていることである。ナラティヴのもつパワーや作用を、身を以て知ることが一つの目的となっている。第1回目のスモールグループでは、5分間で自分の名前を題材に書くことが課題であった。あとで読み合わせ。名前に込められた両親の思い。結婚の時に名字をどうするかでもめた話。名前によって引き起こされた色々な経験。自分の家系に関わる話。などなど。いろいろな感情や想いなどが、グループメンバーから豊かに語られた。私は、「高章」という漢字二文字が左右対称であることが、自分にとっていかに大切か、という話をした。そこでは自然に、様々な肩書きや社会的責任を離れて、素顔の「自分」を語る場が形成されていた。同時に、お互いの話に耳を傾ける訓練がなされていた。
明日までに、ドストエフスキーの短編『やさしい女』を読んでくるのが宿題。
(2011年6月4日執筆)
(次回のコラムvol.06へ続く)
※このコラムは、2011年6月、掲示板「チームオンコロジー」に投稿された記事に加筆修正し転載したものです。
日本スピリチュアルケア学会事務局長
2002-3年度スタンフォード大学病院スピリチュアルケア部スーパーヴァイザー・イン・レジデンス
専門は、臨床スピリチュアルケア、国際社会福祉論、キリスト教史