コラム/エッセイ
医療者とのコミュニケーションの取り方
~主体的に医療を受けるために~
Communicating effectively with medical proffessionals
Vol.01
私が医療コミュニケーションについて考えるようになったわけ
私が医療コミュニケーションについて考えるようになったのは、2000年8月、日本で初めての患者向けがん雑誌ができ、その編集に関わるようになったのがきっかけでした。このある特定の病気(といっても、がんは全身に発生する非常に多種多様な疾病ですが)を対象とする、それも患者向けの専門誌というのは、それまでなかった画期的なものでした。その後、がんの患者向け専門誌が4、5誌出たことからもわかるように、日本において潜在的な需要があったと考えられます。
この雑誌の特徴は、読者つまり患者の立場に立った編集が貫かれたことでした。それまでの医療雑誌といえば、医療における最も数の多いステークホルダー(利害関係者)は患者であるにも関わらず、医療従事者向けのものしかありませんでした。特に医師向けのものは、書き手も医師、読者も医師というような閉じた雑誌で、コミュニケーションの場としては学会誌や同人誌と変らない閉じたメディアだったのではないでしょうか。
それに対し、患者向けの雑誌では、「患者が主役」を徹頭徹尾貫く編集が行われました。雑誌というのは、どのようなコンテンツのものでも、ある程度内容は似通っています。まず巻頭にカラー写真のページがあります。ここには、通常有名人のインタビューなどが載りますが、がん雑誌ではがんやその他の病気に苦しんだ有名人を起用しました。特集、連載はもちろん、がんをテーマにしたものです。病気についての詳細で新しい情報を、読者には理解できないなどとは考えず、どんどん掲載していきました。海外の学会情報も、翌月には掲載されます。そして、重要なことは、記事は医者語を使ってしまう医師ではなく、医療取材に経験豊富なフリーランスのライターに書いてもらったことでした。これにより、難しい作用機序や奏効率の解釈の仕方、治療のメリット・デメリットなどが、必死で情報を求める普通の読者に読み解けるようになったのです。フリーライターを起用したことには、もう一つ思わぬ波及効果がありました。それは、がんを経験したライターたちが幾人も活躍してくれるようになったことです。取材力と筆力があれば、フリーライターに資格は要りません。仕事の量も調節できます。がん経験ライターたちは、自身が患者ゆえの疑問や悩みを抱えて活躍しました。
医師たちもまた、取材に協力的でした。取材のために訪れる編集者やライターが橋渡し役となり、患者のニーズに関心が強い医師と、医師と積極的にコミュニケーションをとりたい患者が知り合うようになり、双方向のコミュニケーションが生まれていきました。
折りしもインターネットの利用者が爆発的に増加していたころです。それまで局所的には活発に活動していた患者会など、患者のセルフヘルプ活動が、雑誌に載ることで、お互いの活動を知り、またインターネットが使えなかった層からの参加も得ることができるようになりました。
こうして創刊当時、「がんという名前がタイトルにつくから書店には置けない」といわれた状況が、1、2年で変わっていき、一般の書店にも本が並ぶようになったのです。もちろん、がん医療をめぐる医療コミュニケーションの状況の急激な変化を、発行部数1万弱の小さな雑誌一つの成果と言うつもりはありません。しかし、雑誌というコミュニケーションの場が医療従事者と患者の双方向コミュニケーションの場になり、雑誌に関わってくれる患者さんたちの表情をみるみる明るく変えていったのを、私は目の当たりにしました。そして2006年、がん対策基本法が成立し、医療を決める席に患者が同席することが法律に明記されたことに、感慨を覚えずにはいられません。
現在、私は北海道大学の科学技術コミュニケーター養成ユニットという教育組織で教員をしております。そこでは、医療に限らず、複雑化、細分化した科学技術と市民との間をつなぐ人材を育成しています。この連載では、そこでの教育や研究の成果を生かし、科学技術コミュニケーションという少し間口を広げた観点から、医療コミュニケーションの話をしていく予定です。読者の皆さんからのご感想や悩みなど、一緒に考える場にもできたらと考えております。おつきあい、よろしくおねがいします。
(2007年1月執筆)