コラム/エッセイ

納得して抗がん剤治療を受けていただくために
~薬学専門家からの提案~

Understanding your therapy for good treatmen.

Vol.32

日本のがん医療をより良くするために

がん医療の分野だけでなく、欧米で使用できる薬剤が日本では使用できない、承認が遅いというドラッグラグの問題が指摘されています。その問題を解消するために、厚生労働省では「未承認薬使用問題検討会議」を開催し、未承認薬に関する、欧米諸国での承認状況および学会・患者要望を定期的に把握し、臨床上の必要性と使用の妥当性の科学的な検証を行い、未承認薬の治験実施を推進し、海外の臨床試験結果を科学的に吟味することにより公知申請を認めるなどの対応を図ってきています。(注:公知申請とは、海外での未承認薬の科学的根拠がある場合、治験を行うことなく承認申請することを認める制度)

1.薬物の反応性には人種差がある

患者さんにとって、世界で評価されている薬剤が日本では使用できないというのは、辛い状況であると思いますが、日本人の患者さんを対象とする臨床試験をしないで承認することは、将来の日本の薬物療法を考えると問題があるかもしれません。最近、ゲフィチニブ(商品名イレッサ)をはじめとする抗がん剤の反応性には、遺伝子学的な要因がかかわっており、その遺伝子学的要因には、人種差があることがわかってきました。

上皮増殖因子受容体(EGFR)チロシンキナーゼ阻害剤であるゲフィチニブは、日本で初めて有効性が評価され非小細胞肺がん治療薬として承認されましたが、欧米では、有効性が認められず、ゲフィチニブは承認されない状況がありました。その後の研究の結果、ゲフィチニブは、EGFRチロシンキナーゼの遺伝子変異がある患者には、より効果的であることがわかってきました。すなわち、その遺伝子変異がある場合に、ゲフィチニブは作用部位により結合しやすく(親和性が高い)、効果を発揮しやすいと考えられています。

その遺伝子変異は、日本人を含むアジア人に頻度が高いこともわかり、ゲフィチニブが欧米人より日本人を含むアジア人に効果が発揮しやすいという理由がわかりました。さらに、EGFRチロシンキナーゼの遺伝子変異が認められる例では、非小細胞肺がんの標準化学療法よりも効果的であることが認められ、日本肺癌学会では、EGFR遺伝子変異が認められる患者さんには、ゲフィチニブが標準治療であると推奨しています。

このような成果は、日本で適切な臨床試験を行っていなければ得られなかったと思います。日本で臨床試験を行わなくても、海外の臨床試験結果だけで承認するという公知申請が慣例化すると、海外で臨床試験を行うだけで、日本で承認されることになり、日本で臨床試験を行わなくても良いという風潮が出てくることを危惧します。そうなっては、日本人に適切な薬物療法を行うことは難しくなります。

2.国際共同試験の問題点

これらの問題を解決するために国際共同試験が行われるようになりました。胃がんの治療薬としてある薬剤の効果を評価した国際共同試験が発表されています。その結果では、その薬剤が効果的であることが認められました。

しかし、サブグループ解析で、地域別の解析をした結果、欧米人ではその薬剤が効果的であることが認められましたが、日本人を含むアジア人では、その有効性が認められていません。この国際共同試験に参加した例はアジア人が最も多いことから、症例数だけの問題とは言えません。解釈は難しいのですが、この薬剤は日本人に効果的とは言えない可能性もあります。このように薬剤の効果に人種差が認められることがわかった現状では、国際共同試験は必ずしも適切とは言えないかもしれません。

3.がん薬物療法の効果指標として何が適切か?

つい最近、米国食品医薬品局(FDA)はベバシズマブ(商品名アバスチン)の乳がんの適応を削除する方針であることが発表されました。転移がある乳がん患者に対して、ベバシズマブは無増悪生存期間(増悪または死亡までの期間)を改善することが認められていますが、がん薬物療法の最終的な目標である全生存期間の改善は認められないことが大きな理由で、さらに、効果を予測するバイオマーカーが確立されていないことが問題の一つであることが指摘されています。

しかし、欧州では、パクリタキセルとの併用でベバシズマブは有効と考えられ、承認は削除されることはないと報道されています。このことは、がん治療薬の効果を全生存期間と考える米国FDAと無増悪生存期間でも良いという欧州の規制当局の考え方の違いが反映されていると思います。がん治療薬の効果指標として何が適切なのかについて、今一度議論する必要があると思います。

日本では、ベバシズマブの全例調査の結果や各種学会で使用経験的な有効例が発表されていますが、日本人を対象とした比較試験結果は発表されていませんので、ベバシズマブが日本人の乳がん患者に有効なのかどうかわからないままになっています。ベバシズマブの効果を予測するバイオマーカーが確立され、そのバイオマーカーの日本人の保有頻度やそのバイオマーカー保有例での有効性がわかれば、ベバシズマブの適切な投与が促進されると思われます。

4.臨床試験なくして、がん医療の質は向上しない

繰り返しますが、未承認薬をそのまま公知申請するだけというのが慣例化すると、日本ではがん薬物療法の臨床試験が行われなくなるという危惧があります。取り急ぎ、公知申請でドラッグラグを解消することは一つの方法かもしれませんが、臨床試験を促進することも同時に行わなければならないと思います。

ドラッグラグを解消しながら、日本人でのがん薬物療法の臨床試験を促進する方法の一つとして、全例調査だけではなく、承認後の有効性の評価などを義務づけることを未承認薬の公知申請による承認の条件にすることも考えられます。そして、効果に関わる要因を明確にする研究を行うことにより、日本でも適切な薬物療法が可能になるかもしれません。

もし、その臨床試験で有効性が確認できない場合には、米国の迅速承認(accelerated approval)のように、承認を取り消すことも必要になると思います。

日本で臨床試験が行われなくなれば、日本のがん医療の質は低下し、患者さんに質の高い薬物療法を提供できなくなる可能性があります。ドラッグラグには多くの原因が横たわっていると思いますが、現在だけでなく将来も、一人でも多くの患者さんがよりよいがん薬物療法を受けられるような仕組みを構築することが必要なのではないでしょうか?

※執筆者の瀬戸山氏が運営する爽秋会クリニカルサイエンス研究所では、一般向けと医療関係者向けに、がん医療に関する情報を提供しています。こちらのサイトもご利用下さい。

(2011年1月執筆)

瀬戸山 修
瀬戸山 修
1949年生まれ、爽秋会クリニカルサイエンス研究所代表。がんの初期から終末期までの一貫したがん医療の質の向上を願い、薬学、特にがん薬物療法に関する臨床薬理学、臨床疫学(EBM)の立場から、最新のがん医療情報の発信、薬剤師や看護師の教育研修を行っている。