コラム/エッセイ

納得して抗がん剤治療を受けていただくために
~薬学専門家からの提案~

Understanding your therapy for good treatmen.

Vol.26

がん医療のコストを考える

1.細胞免疫治療の初承認と高額医療費の問題

米国で初めて細胞免疫治療が承認されました。2010年4月、米国食品医薬品局(FDA)は、無症状または軽度症状が認められるホルモン抵抗性前立腺がん治療薬として、多くの前立腺がんで発現が認められる前立腺酸性ホスファターゼ(PAP)などに対して免疫反応を示す患者の免疫担当細胞を用いる細胞免疫治療sipuleucel-T (商品名PROVENGE) を承認しました。

この細胞免疫治療を評価した二重盲検、プラセボ比較、ランダム化試験(IMPACT試験)の結果では、細胞免疫治療を行った群の50%全生存期間が25.8ヵ月、プラセボ群が21.7ヵ月であり、有意に全生存期間が延長することが認められています。

ホルモン抵抗性前立腺がんに対して、細胞免疫治療が有意な生存期間の改善を示し、FDAから初めて承認を得たこと、このことを契機に他のがんに対する免疫療法の開発が促進されることになると思われることを考えますと、がん医療の質向上にとって、sipuleucel-Tの承認は非常に意義のあるものと考えられます。

製造企業であるDendreon社では、このコストは3回投与のフルコースで93,000米ドルとなると発表しています。通常の医薬品と異なり、患者さんの免疫担当細胞を採取し、一定の処理が必要になりますので、非常に手間のかかる治療となりますので、ある程度のコストは仕方がないのかなとは思いますが……。

この治療は、日本ではまだ承認されていませんし、日本の薬価制度とは異なりますので、日本の事情で考えることは問題があると思います。しかし、50%生存期間で約4ヵ月延長のコストが日本円で900万円~1,000万円となることを考えますと、複雑な思いになります。sipuleucel-Tには、重篤なインフュージョン反応、めまい、頭痛、高血圧、筋肉痛、悪心・嘔吐などの副作用が報告されていますので、副作用対策のコストもかかります。

日本では高額医療費制度がありますので、患者さんの負担は、月に5~8万円前後になると思いますが、高額医療費制度を利用しても、患者さんの負担はかなり大きくなると思います。また、その差額は、健康保険で補填することになりますので、高額な治療費は、健康保険財政をさらに逼迫させることにならないかという心配があります。

2.がん治療費の増加の影響

最近、抗体医薬や分子標的治療薬など、高薬価の薬剤が臨床応用可能となり、欧米や日本でも、がんの治療費の高額化が問題になり始めています。

先日、日経がんナビに日本医療政策機構が行った調査報告の概要が掲載されていました。その結果をみますと、がんの治療費について、30%の方が「とても負担が大きい」、41%の方が「やや負担が大きい」、あわせて7割以上の方が負担感を感じ、130万円以上の費用を払った方では、負担が大きいと回答した方は約9割おられると述べられています。また、経済的な理由から、治療を断念したり、最も受けたい治療とは別の治療を選んだことがある方も10%弱おられることが明らかにされています。

がんの治療費の負担を苦にして、がんの患者さんを肉親が殺害するという痛ましい事件も報道されています。筆者の経験でも、月に2万円程度の医療費の支払いができずに、「自分だけが我慢すればよい」と標準とされる治療やがん疼痛治療を拒否される方もおられます。このような状況では、私たちが願う患者さん中心のがん医療は不可能となりますし、どんな質の高いチーム医療があっても無力になってしまいます。

がん医療は、患者さんのQOLや満足度を維持・向上させることが大きな目的と思います。欧州がん研究・治療機構(European Organization for Research and Treatment of Cancer)が開発したEORTC-QLQ-C30質問票には「身体の調子や治療の実施が、経済上の問題になりましたか」という経済的逼迫に関する質問もあります。すなわち、患者さんの経済状況もQOLの要素と考えるべきと思います。

3.医療費に関する国民的議論の必要性

このような問題を解決するためには、多くの方々が指摘されているように、国や健康保険からの補助が必要かもしれません。しかし、国の財政が逼迫し、事業仕分けを行っている現状や健康保険の財政逼迫を考えれば、国や健康保険からの補助を行うには、増税、健康保険料の増額なども必要になる可能性が高くなると思われます。国民経済が困窮している現状では、このような国民負担が嵩むことは、将来の生活の不安にもつながる可能性も否定できません。

個人的には、事業仕分けで無駄な税金の使用を減らして、健康保険に充填して欲しいとは思いますが、無理なのでしょうか。

一方、製薬企業の立場から考えますと、高騰する研究開発費を回収し、次の開発に投資するためには、それ相当の薬価でなければならないと思うのは当然かもしれません。しかし、あまりにも高薬価であれば、処方数は少なく、結果として、回収もままならない可能性も出てくるかもしれません。

「金の切れ目が命の切れ目」、「地獄の沙汰も金次第」ということにならないよう、がん医療のコストに関して、患者さん、医療専門職、一般国民、製薬企業、行政などの各々の立場などの意見を出し合う国民的議論が必要と思われます。ある特定の方々のみが利益を得るというシステムではなく、私たちが、経済問題を心配することなく、本当に安心して受けられる医療システムを構築することが必要ではないでしょうか。

患者さんに必要と思われる治療を提供して、患者さんが満足し得るようながん医療が提供できる医療経済の仕組みを抜本的に考える時期が来ているのかもしれません。

※執筆者の瀬戸山氏が運営する爽秋会クリニカルサイエンス研究所では、一般向けと医療関係者向けに、がん医療に関する情報を提供しています。こちらのサイトもご利用下さい。

(2010年5月執筆)

瀬戸山 修
瀬戸山 修
1949年生まれ、爽秋会クリニカルサイエンス研究所代表。がんの初期から終末期までの一貫したがん医療の質の向上を願い、薬学、特にがん薬物療法に関する臨床薬理学、臨床疫学(EBM)の立場から、最新のがん医療情報の発信、薬剤師や看護師の教育研修を行っている。