コラム/エッセイ
納得して抗がん剤治療を受けていただくために
~薬学専門家からの提案~
Understanding your therapy for good treatmen.
Vol.27
個別化医療を考える
ゲノムや遺伝子学的研究に伴って個別化医療という言葉が盛んに用いられるようになってきました。個別化医療は、患者が有するある特有の遺伝子的特徴、病状・病態に関連する分子やその遺伝子変異などの情報を総合して、治療効果を最大化し、かつ有害反応を最小化することを目指した医療と考えられています。
1.薬剤の効果が期待できる様々な因子が明らかになってきた!
上皮増殖因子受容体(EGFR)チロシンキナーゼ阻害薬は、EGFRチロシンキナーゼのATP結合部位への親和性が高い場合により効果が高く認められることが知られています。エルロチニブ(商品名タルセバ)に比較して、親和性が低いと知られるゲフィチニブ(商品名イレッサ)は、ATP結合部位へのゲフィチニブの親和性が高くなるEGFRチロシンキナーゼ遺伝子変異がある例では、非常に効果が高く、そのような遺伝子変異が認められる例では、非小細胞肺がんの1次療法として、標準化学療法として知られるカルボプラチン、パクリタキセル併用療法より効果的であることが報告されています。しかし、親和性が低くなるような2次性変異(T790M)が認められる例には効果が発現しにくく、METやIGF-1R(インシュリン様増殖因子1型受容体)などの増幅・活性化が認められる例にも効果を発揮しにくい可能性が指摘されています。
EGFR抗体であるセツキシマブ(商品名アービタックス)は、EGFRの下流にあるKRAS遺伝子変異やBRAF遺伝子変異がある例には効果を発揮しないことも報告されています。すなわち、増殖因子であるEGFRを抑制しても、その下流にあるKRASやBRAFの遺伝子変異があり活性化していれば、セツキシマブは効果を発揮しにくいことになります。セツキシマブの効果に関連する可能性のある因子は他にも報告されています。
また、シスプラチンなどのプラチナ製剤は、DNA除去修復酵素ERCC1が発現していれば、効果が発現しにくいことも知られてきました。フッ化ピリミジン製剤である5-FUやS-1(商品名ティーエスワン)は、異化分解酵素であるジヒドロピリミジンデヒドロゲナーゼ(DPD)、チミジル酸合成酵素(TS)、チミジンホスフォリラーゼ(TP)が高発現の例には効果が発現しにくいことが知られていますが、カペシタビン(商品名ゼローダ)は、腫瘍組織などのTPにより5-FUに変換することが知られていますので、むしろTPが発現している例に効果的と考えられています。
さらに、乳がんなどでは、エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体、HER-2の発現状況や閉経状況、腋窩リンパ節転移、脈管浸潤状況などが再発リスクに関連し、さらにまた21の遺伝子状況で再発リスクを予測するOncotype DXも開発されています。
このように、多くの研究で、薬剤の効果が期待できる効果予測因子が明らかになってきて、より効果的な薬剤の投与が可能になる状況になってきましたが、効果予測因子を有する患者さんの100%に効果が得られるわけではありません。すなわち、これらの因子をどの施設でも測定できるようになったとしても、他にも効果に関連する因子があるということになります。
2.薬剤の効果には、多くの因子が関与している
薬剤の効果は、トランスポーター、薬物代謝酵素(消化管)が関与する吸収、血液脳関門などのトランスポーターや腫瘍組織周辺および腫瘍内の血管新生の状態が関与する分布、肝臓・消化管・腫瘍組織の薬物代謝酵素が関連する代謝、腎臓の糸球体濾過率、胆管・腎臓・腫瘍組織などのトランスポーターが関与する排泄、化学療法剤の標的となるDNA、RNA、核酸合成に関与する酵素、トポイソメラーゼ、チュブリンなどの状況、分子標的治療薬の標的となる受容体状況、受容体の下流シグナル伝達因子や受容体のリガンドの状況、ポリ(ADP-リボース)ポリメラーゼなど、多くの因子が関与していると考えられています。これらの因子には、それぞれ蛋白発現状況やそれに関与する遺伝子変異などの問題もあります。
さらに、抗がん剤の耐性機序も効果に大きく関連することが知られています。これまで知られてきたのは、多剤耐性(Multiple Drug Resistance)遺伝子の発現により、P-糖タンパクが細胞膜上に発現され、細胞内の抗がん剤を細胞外に排泄することで効果が発現しなくなるという機序です。さらに、グルタチオンなどの無毒化酵素の発現が増加すると、抗がん剤の活性を低下することも知られています。前述したDNA除去修復酵素ERCC1もその例です。
薬剤の標的蛋白や酵素の発現量の増大、質的に変化する場合もあります。これらの薬剤の例には、メトトレキサート、フルオロウラシル、パクリタキセル、ドキソルビシンがあります。また、分子標的治療薬の耐性には、新たな経路の活性化があることも示されています。このようにがん細胞は、生体が異物による障害から防御する仕組みを利用して、薬剤耐性を獲得していると考えられます。従って、これらのような耐性機序も知らなければ個別化医療は難しいということになります。
さらに、これらの遺伝子の状況は、日本人と欧米人とは異なることから、日本人と欧米人の薬剤に対する反応性も異なることが指摘され、pharmacoethnicityという新たな言葉も生まれています。
一方、がん患者さんの全身状態(PS)、QOL、白血球数、血清ヘモグロビン値などの骨髄機能、アルブミン値、BMIなどの栄養状態、LDH(乳酸脱水素酵素)なども治療効果に関連すると知られ、ある種のがんでは予後因子であることが確認されています。さらには、患者さんの心理状態も治療効果に関連する可能性も指摘されています。
すなわち、薬剤の効果に関連する遺伝子状況に加えて、患者さんの臨床状況も把握せずには、個別化医療は不可能と思われます。この観点からも、患者さんを中心とする医師、看護師、薬剤師、医療ソーシャルワーカー、臨床心理士などの専門職が関わるチーム医療が必須であると考えられます。
3.将来の個別化医療実現のために
理想とする個別化医療は、100%の患者さんに効果が得られ、それらの患者さんでは有害反応が軽く済むということだとすれば、効果や有害反応に関連する全ての因子が解明され、患者さん毎にそれぞれの因子がどの程度寄与するのかを明確にしななければ実現できないのではないかと思います。
現状は、理想とする個別化医療にはほど遠い状況かもしれませんが、効果に関連する(または効果が得られない)因子を一つずつ明らかにし、その因子のより精度の高い検査方法を確認して、データを積み上げていくことは将来の個別化医療の実現には極めて重要なことと思います。
多くの優れた薬剤が開発されてきていますが、前回(vol.26)のコラムでも述べたように、そのコストは非常に高価なものとなっています。しかし、投与した100%の患者さんに効果があり、その方の人生が満足いくものになるならば、そのコストはあまり問題にならないかもしれません。
優れた薬剤を、適切と思われる患者さんに投与することによって、がん医療の質をあげることが可能になる時代を関係する方々とともに作り出していかなければならないと考えています。それが、筆者が受けたいがん医療だから・・・。
※執筆者の瀬戸山氏が運営する爽秋会クリニカルサイエンス研究所では、一般向けと医療関係者向けに、がん医療に関する情報を提供しています。こちらのサイトもご利用下さい。
(2010年6月執筆)