コラム/エッセイ

納得して抗がん剤治療を受けていただくために
~薬学専門家からの提案~

Understanding your therapy for good treatmen.

Vol.28

がん治療法の選択 ― 乳がんを例として

乳がんの薬物療法はかなり進歩してきていますが、それでも乳がんと診断されてお悩みになる方が依然として多いようです。がん治療は、がん細胞の性質で患者さんに提供する治療を決めることが行われ、乳がんでは、エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体のホルモン受容体をどの程度もっているか、ヒト上皮増殖因子受容体(HER)-2をどの程度保有しているかによって治療方針が決められることが一般的です。

最近、これらの受容体の保有状況で、これらの3つの受容体を保有しないトリプルネガティブ(3重陰性)の乳がんと診断された患者さんの治療後の再発率がやや高い(再発リスクが高い)という研究報告が発表され、一般の方でもトリプルネガティブの乳がんには、ドキソルビシンやエピルビシンなどのアンスラサイクリン薬剤やパクリタキセル、ドセタキセルなどのタキサン製剤のどの化学療法にも効果を示さないと短絡的に考えてしまっておられる方も多いのかもしれません。

本サイトの一般向けの掲示板でもこの話題が取り上げられ(詳細は投稿テーマ参照/PDFで表示します)、上野直人先生が簡潔にまとめられてお答えされています(詳細は投稿コメント参照)。今回、上野先生のお答えを簡単に補足させていただく形で、コラムを書くことにします。

1.トリプルネガティブ乳がんには化学療法が奏効しないのか?

エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体を保有している乳がんは、ホルモン療法に効果的と考えられています。がんと診断された時点で、かなり多くのがん細胞があると考えられていますが、それらのがん細胞の10%以上にエストロゲン受容体、プロゲステロン受容体が認められればホルモン受容体陽性と診断されます。ホルモン受容体陽性の場合には、ホルモン療法が効果的と考えられています。しかし、同じホルモン受容体陽性と診断されても、11%に受容体を有する場合と60%に有する場合では、ホルモン療法の効果が異なることが指摘されています。

一方、ホルモン受容体陰性と診断された場合には、一般的にはホルモン療法はあまり効果を示しませんが、ホルモン受容体ががん細胞の9%位に認められる場合には、効果を示すこともあると示唆する報告もありますし、このような場合には、ホルモン療法と化学療法の併用を行うことも勧められています。ホルモン受容体陰性の場合には、化学療法の方がより効果的であるという報告もあります。ホルモン受容体陰性の乳がんには、化学療法で効果を示すことが多いということから化学療法が適応となります。

HER-2を保有している細胞は、進行が早く、治療に奏効しにくいと考えられていましたので、HER-2陽性の場合には、治療効果が悪いと考えられてきました。しかし、HER-2陽性の乳がんには、抗HER-2抗体であるトラスツズマブ(商品名ハーセプチン)やHER-2のチロシンキナーゼ阻害薬であるラパチニブ(商品名タイケルブ)が開発され、優れた効果が報告されました。そのため、HER-2陽性の場合には、優れた治療法があるが、HER-2陰性には、優れた治療法がないと誤解される方もおられるようです。しかし、HER-2陰性の方には、ホルモン療法や化学療法が効果的であることは間違いありません。

まとめますと、エストロゲン受容体陰性、プロゲステロン受容体陰性、HER-2陰性というトリプルネガティブに対しては、PARP1阻害薬の開発が行われていますが、従来の化学療法でも効果が得られるとの報告もありますし、化学療法に効果が期待できると考えた方が良いとおもいます。実際、スイスのSt Gallenで行われた乳がんシンポジウムでも、トリプルネガティブ乳がんの初期治療としては、世界の乳がん治療専門家は「ほとんどの例で化学療法の適応となる」と合意しています。

エストロゲン受容体陽性、プロゲステロン受容体陽性、HER-2陽性のトリプルポジティブ(3重陽性)の乳がんに関しては、最近、アロマターゼ阻害薬とトラスツズマブ、ラパチニブのような抗HER-2剤と併用が効果的という臨床試験結果が報告され、欧米では、これらの治療が承認されています。

2.がんの治療法選択は、ガイドライン(標準治療)を参考に

以上のことから、トリプルネガティブ、トリプルポジティブという分類は、乳がん細胞の性質をより明らかにするための学問的な課題であって、現在得られている臨床試験結果では、ホルモン受容体の発現比率やHER-2の発現状況で治療を考慮することがあっても、トリプルネガティブ、トリプルポジティブという分類で治療を考えない方が賢明と思います。

学問的な課題やそれに関する結論が得られていなくても、インターネットなどで注目されることがありますが、乳がん治療に関しては、日本乳癌学会、NCCN、米国臨床腫瘍学会(ASCO)、欧州臨床腫瘍学会(ESMO)、St. Gallen(ザンクト・ガーレン)乳がんシンポジウムなどで乳がん治療専門家が作成したガイドラインを参考に治療を考えるべきと思います。結論が出ていない治療法に関しては、臨床試験で確かめることが必要で、日常の治療で行うことは好ましくないと思います。

3.最も適したがん治療法を選択した上で、健全な療養生活を送りながら治療を受けましょう

前回のコラム(vol.27 個別化医療を考える)でも紹介しましたが、最近、個別化医療という言葉がよく使われるようになり、より効果が得られやすい患者さんを特定する試みが行われていますが、薬剤の効果は、がん細胞内への薬剤の取り込み、薬物の代謝、排泄、標的分子への反応性(変化など)、薬剤を不活性化する耐性機序が関係していると知られていますし、それらのそれぞれに遺伝子状況が関連することも知られています。

さらには、患者さんの全身状態(PS)、QOL、白血球数、血清ヘモグロビン値などの骨髄機能、アルブミン値、栄養状態、LDH(乳酸脱水素酵素)なども治療効果に関連すると知られています。そして患者さんの心理状態も治療効果に関連する可能性も指摘されています。

また最近、肥満の患者さんは、生存率が悪く、ホルモン療法にも効果が期待できないとの報告もありますし、運動する方は再発リスクが少ないことも知られています。すなわち、どんなに良い治療を選択しても、運動不足や食事が不適切であれば、その効果が期待できない可能性も高いと考えられます。

さらにまた、上野先生が指摘されているように、年齢、進行度(リンパ節転移、腫瘍周囲脈管浸潤陽性、肝転移、肺転移、脳転移など)、合併症(糖尿病など)、他の細胞の性質(腫瘍の組織グレード、増殖能)を考慮することも重要です(詳細は投稿コメント参照)。

まとめますと、トリプルネガティブ、トリプルポジティブというような分類で治療法をお悩みになるより、標準治療を明記したガイドラインを参考に、患者さんの状態(全身状態、栄養状態、骨髄機能)や医師から提案された副作用の可能性を考慮して、治療を選ぶことが現在では最も良い治療法を選択できると思います。このことは、乳がんだけの問題ではなく、他のがんの場合でも同様のことがいえると思います。

そして、治療を行う際には、副作用対策を十分に行いながら、適切な運動や栄養摂取を行い健全な療養生活をおくることを考えた方がよいように思います。健全な療養生活を送ることががん治療の効果を高める可能性があることを医療専門職も理解して、患者さんにも強くお勧めすることが必要ではないでしょうか。

どうぞ以前のコラム(vol.08 適切な栄養と運動が、がん医療の効果を高める可能性が高い!)を参考にしてください。

※執筆者の瀬戸山氏が運営する爽秋会クリニカルサイエンス研究所では、一般向けと医療関係者向けに、がん医療に関する情報を提供しています。こちらのサイトもご利用下さい。

(2010年7月執筆)

瀬戸山 修
瀬戸山 修
1949年生まれ、爽秋会クリニカルサイエンス研究所代表。がんの初期から終末期までの一貫したがん医療の質の向上を願い、薬学、特にがん薬物療法に関する臨床薬理学、臨床疫学(EBM)の立場から、最新のがん医療情報の発信、薬剤師や看護師の教育研修を行っている。