コラム/エッセイ

納得して抗がん剤治療を受けていただくために
~薬学専門家からの提案~

Understanding your therapy for good treatmen.

Vol.30

EBM(Evidence-Based Medicine)を考える

各種がんの診療ガイドラインが作成され、確立された標準治療が提供されるようになってきました。しかし、エビデンスを金科玉条の如くそのまま応用することがEBMであるという誤解もありますし、前回のコラム(vol.29)で述べた「がん免疫療法」や一部の代替医療と呼ばれるものには、確固たるエビデンス(EBMにおけるエビデンスとは患者情報に基づくエビデンスです)がないまま、患者さんに提供されているものも少なくありません。

そこで、今一度、EBM(Evidence-Based Medicine:科学的根拠に基づいた医療)について考え、エビデンスレベルの低い医療を患者さんに提供しなければならない場合の原則も考えてみたいと思います。

1.医療の目的

医療の目的は、患者さんにとって適切と思われる治療・ケアを提供することによって、患者さんの治療成績(アウトカム)を最適にすることにあると思います。

医師が治療を決める際の決断には、それぞれの医師の経験によって生じる先入観、固定概念などが深く関与すると考えられます。実際の医療の場では、新しい研究の成果を考慮に入れず、経験や勘だけで判断されることが多く、医師間で、同じ疾患・病態の患者さんに対しても治療法やアウトカムが異なり、適切といえない医療が提供される可能性があることが問題になってきました。膨大な経験と実績があれば、質の高い判断になると思いますが、それだけの経験を積むのは至難のことかもしれません。

そこで、医療行為の適切性を向上させ、その時点で最も理にかなった診療を行うために、体系的に治療方針を決めるEBMの考え方が生まれてきました。

2.EBMとは

患者さんに適した治療を選択するためには、適切と思われる臨床研究結果によるエビデンスとその理解、臨床的な経験から習熟される技能、患者さんの意向をくみ取れるコミュニケーション能力や現在の法律や規制などの現場の状況の理解を総合して判断することが重要であり、そのようにして医療を提供することがEBMとなります。

以前この連載コラム(vol.20など)で述べたことがありますが、エビデンスを患者さんに応用する場合には、そのエビデンスの信憑性を評価し、目の前の患者さんにそのエビデンスが応用できるか(患者さんの利益になるか)を判断するということが必要になります。そして、そのためには、オリジナル論文の構造化抄録を作成して、適切な批判的吟味をすることが重要になります。

また、どんなに素晴らしいエビデンスでも100%の患者さんに効果を発揮するわけではありません。すなわち、「不確実性」があるのが医療と考えられますので、患者さんのおかれている状況(身体的状況、心理的状況など)やそのエビデンスを最適に患者さんに応用するための医師などの医療専門職の臨床経験、そして患者さんのご希望などの意向を無視して、盲目的にエビデンスに固執するのは、EBMの考え方には沿っていないことになります。

また、実際の診療の場では、患者さんはいろいろな合併症を有する方が少なくなく、他の治療薬を投与しなければならない場合が多々あると思います。他の治療薬を併用する場合には、薬物相互作用のリスクも生じてきます。さらには、患者さんの肝臓機能、腎臓機能、心臓機能、全身状態(PS)から、そのエビデンスが応用できるかどうかを判断しなければなりません。

言い換えますと、どんなに優れたエビデンスやガイドラインであっても、患者さんの状況(体質や併用薬などの状況)や患者さんの価値観に合わなければ、そのエビデンスやガイドラインはその患者さんには適さないことになります。

医療は、単なる一つの科学ではないと思いますが、その科学の成果である治療法を、患者さんの立場に立ち、患者さんに役立つよう、どのように使うかが重要ですし、患者さんの意向を確かめながら、治療を行うことが重要と思います。すなわち、チームの専門職のそれぞれの立場で、患者さんをアセスメント・評価し、患者さんの意向を確かめた上で、患者さんに医療を提供することが必要になると思います。また、患者さんに適した医療を提供するためには、患者さんを思う優れた人間性と優れた科学的知識が必要になり、科学と倫理のバランスが強く求められると思います。

3.エビデンスレベルが低い場合には

しかし、エビデンスにも限界があることも理解しなければなりません。患者数が少ない領域や、緩和ケアの領域のように患者さんの状態が多様化している場合、がん治療でも1次療法で効果がない、または増悪した後の2次療法や3次療法に関しては、質の高い臨床試験の実施が難しく、質の高いエビデンスは少ないと思います。その場合に、患者さんに提供する治療をどのように選択するかということが問題になることがあります。

エビデンスレベルが低いものしかない場合には、論文化された、または学会報告された同じような患者さんを何例も使用した症例シリーズ研究や症例報告などを吟味したり、それらがなければ、教科書など専門の方が書かれた参考書や基礎研究から推定して、患者さんに適した治療を選択することもあるかもしれません。

確固たるエビデンスがないからといって、どんな治療をしてもよいと考える方もおられるようですが、それは正しい考え方ではないと思います。

レベルが低いエビデンスしかない場合でも、その治療を提供することの妥当性をチームで評価し、患者さんにその治療を選択する理由をわかりやすく説明し、患者さんが納得した治療を受けられるようにすることが重要と考えます。

低いレベルのエビデンスしかない領域の専門医の中には、「その領域ではEBMができないため、患者の価値観を重要視するNBM(Narrative-Based Medicine:物語と対話に基づいた医療)が重要である」と述べる方もおられます。先に述べたように、EBMは患者さんの価値観も重要視していますので、この考え方は正しいとは思えません。ましてや、EBMを理解しないで、NBMが必要といいながら、科学的に妥当とは思えない医療や医師の経験だけの治療を行うということは、医療の目的にも合致しないと考えられます。このような領域こそ、エビデンスレベルが低くても、診療ガイドライン、病態生理や薬理学などを参考に、医師、看護師、薬剤師などの専門職によるチームで科学的妥当性を評価し、患者さんの意向を確かめることが必要になるのではないでしょうか。

そして、提供した治療の効果や有害事象を記録して、その記録を分析し、次の診療や臨床研究に活かすことも必要になると思います。

4.エビデンスは絶対ではない

一方、エビデンスや診療ガイドラインを金科玉条の如く考えて、患者さんの意向や価値観を確認しないことも多いかもしれません。これは、EBMではなく、マニュアル医療やCookbook medicine(料理本医療)でしかありません。

先に述べたように、エビデンスは100%の患者に効果が認められるものではなく、また、そのエビデンスが確認された試験の対象条件や除外条件を確認して、その患者さんに応用できるかどうか、併用薬の問題はないかなど批判的に吟味し、患者さんの意向を確かめた上で、患者さんに応用することがEBMとなります。すなわち、何も吟味しないで、エビデンスや診療ガイドラインをそのまま患者さんに応用することは、EBMとは言えず、思いこみのある治療法としか言えないのではないでしょうか。

EBMは、エビデンスが目の前の患者さんに応用できるのかどうかを各専門性で吟味し、患者に応用できる妥当性などを総合的に判断した上で、患者さんの意向を確かめて行う、患者中心の医療となります。

5.患者中心の医療にはEBMが必要

患者さんが納得した治療を受け、患者アウトカムがより良くなければEBMの意味はありません。医療の主役は患者さん達です。患者さんが治療の選択に参画することにより、医学という科学は倫理的に応用できるようになると思います。

「エビデンスレベルが低いからEBMは不可能である」、「患者さんの意向や価値観を取り入れないEBMでは問題があり、NBMを取り入れるべき」というような発言は、EBMを一面だけで理解しているとしか考えられません。どんなに患者さんの価値観を取り入れたとしても、科学的妥当性のない治療を患者さんに提供することは、「患者中心の医療」からほど遠いものになりますし、倫理的にも問題が多いと思います。

愛する家族が「がん」と診断されたら、誰もがより質の高い医療を提供したいと考えると思います。患者さんに提供する医療に関して、全てエビデンスが確立しているとは思えませんが、より科学的に妥当性のあるもの、より患者さんに適するものを選択する、そして、患者さんを含めたチームで総合的に評価して、患者さんが納得する治療を提供することが必要であり、その結果を記録して、次に活かすという一連のプロセスもまた必要となると思います。

患者中心のがん医療には、EBMのプロセス、チームアプローチが必須であることを強調したいと思います。

※執筆者の瀬戸山氏が運営する爽秋会クリニカルサイエンス研究所では、一般向けと医療関係者向けに、がん医療に関する情報を提供しています。こちらのサイトもご利用下さい。

(2010年9月執筆)

瀬戸山 修
瀬戸山 修
1949年生まれ、爽秋会クリニカルサイエンス研究所代表。がんの初期から終末期までの一貫したがん医療の質の向上を願い、薬学、特にがん薬物療法に関する臨床薬理学、臨床疫学(EBM)の立場から、最新のがん医療情報の発信、薬剤師や看護師の教育研修を行っている。